読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『Gストリング殺人事件』ジプシー・ローズ・リー

The G-String Murders(1941)Gypsy Rose Lee

 ジプシー・ローズ・リーは、アメリカンバーレスクのストリッパー(※1)。「バーレスクの女王」と呼ばれ、映画やテレビにも数多く出演したそうです。彼女はさらに多彩ぶりをみせつけ、推理小説まで執筆しました。
 それが『Gストリング殺人事件』です。

 この小説は、リーの人気もあってヒットし、映画化もされました。
 一方、余りに出来がよいので「ミステリー作家のクレイグ・ライスが代筆したのでは?」などといわれ、今に至るまで議論が続いています。特にミステリーファンの間では、ライス代筆が定説とされているようです。
 そのせいか、翌年に発表された続編の『ママ、死体を発見す』(Mother Finds a Body)の訳本を二十一世紀になって出版した論創社は、これを堂々とライス名義にしています。

「どうみてもライスの作風だ」とか「常識的に考えて、ミステリーと縁のない三十歳の女性が、いきなり長編推理小説を書けるわけがない」とか「ライスは、俳優のジョージ・サンダースの代筆もしていた(『Crime on My Hands』)」といった声もあります。
 しかし、リーはライスと友だちだったこと、またコラムや戯曲を執筆していたことから、ミステリーをものするのは決して不可能ではないと思います。
 ただ、いずれも確たる証拠がないので、真偽についてはこれ以上触れません。個人的には「ライスの指導を受け、リーが必死になってタイプライターに向かった(※2)」と考えた方が夢があって好きですけど……。

 それより気になるのは『ママ、死体を発見す』をライス名義で翻訳出版したことの方です。
「論創海外ミステリ」というシリーズを刊行している出版社としては、五十年前ならいざ知らず、今頃リーの名を用いる意味などほとんどなく、それよりはライスのファンに手に取ってもらう方がよいと判断したのかも知れません。

 しかし、著作権はどうなっているのでしょうか。アメリカのAmazonで検索すると、著者はリーになっています。アメリカでは死後七十年で著作権が消滅しますが、まだ経過していません。
 それとも、リーは著作権を出版社に譲渡していたのかしらん。ちなみに『ママ、死体を発見す』にはコピーライトの表記がなく、『Gストリング殺人事件』はコピーライトが出版社(サイモン・アンド・シュスター)になっています。

 せめて「ジプシー・ローズ・リー(クレイズ・ライス)」とでも表記してあれば違和感が少なかったかも知れません……。が、この件についても決して論創社に文句をつけたいわけじゃないので(※3)、深入りはせず本題に入ることにします。
 まずは『Gストリング殺人事件』のあらすじから。

 オハイオ州の劇場に出演していたジプシー・ローズ・リーは、友だちのジー・ジー・グラハムとともに、ニューヨークにあるオールドオペラ劇場に移籍します。
 やがて、様々な人間関係が渦巻く劇場で事件が起こります。ロリタ・ラ・ヴェルヌ、そしてニールヴィナ内親王というストリッパーが相次いで殺害されたのです。その後、失踪していた男が墜落死したものの、彼は犯人ではなさそうです……。

 この作品の魅力は、何といってもバーレスク関係者のリアルな日常にあります。
 ストリッパーたちの舞台裏での喧嘩や悪口、喜劇役者や経営者らとの恋愛や駆け引き、警察の手入れなどが生々しく、また滑稽に描写されています。楽屋の古いトイレをどうやって取り替えるかに結構な分量が費やされるのですが、決して無意味ではなく、踊り子たちは案外とこういう些細なことに悩まされているんだろうなと思わされます(殺人は、新しいトイレの披露パーティ上で起こる)。
 ほかにも、キャンディ売りの口上やGストリング屋の営業など、大変興味深く読むことができます。

 ミステリーファンは事件が起こるのが遅い点を気にするかも知れませんが、僕としてはフレドリック・ブラウンのミステリーと同じように殺人なんかどうでもよくて、このまま楽屋裏をさらけ出し続けて欲しかった。井上ひさし浅草フランス座に関するエッセイや小説にも匹敵する面白さですから。
 尤も、人が殺された後も劇場の雰囲気は余り変わりません。皆に嫌われていた踊り子が殺されたとはいえ、リーを始めとした仲間たちはサバサバしているのです。男や金、劇場での格を巡る醜く生々しい嫉妬や争いが渦巻くなかでは、人殺しがいつ起こっても不思議でないと皆が考えているようにもみえます。
 それらは、いかにも刹那的な人生を送る風俗業界の人々という気がして説得力があります。

 一応、ミステリー部分にも触れると、トリックや推理には取り立てて面白味はありません。また、最終章にどんでん返しが用意されているのもお約束といった感じ。
 ただ、ネタバレになるから書きませんが、殺害の動機はなかなか複雑で、意外性があります。事件の処理の仕方もちょっと変わっているので、十分に読む価値はあると思います。

 なお、この本には、主な登場人物が記された栞が付属しています(写真)。
 これがあると読むのがとても楽になりますから、古書購入の際は有無を確認する方がよいでしょう(僕の所持している本には、ハガキやスリップまで残っている。こういうものが、何より時代を感じさせてくれる)。

 ついでに『ママ、死体を発見す』のあらすじと感想も簡単に書いておきます。

 前作の終わりで、コメディアンのビフ・ブラニガンにプロポーズされたリーは彼と結婚し、キャンピングトレーラーで新婚旅行に出掛けます(リーは既に、活躍の場をバーレスクからブロードウェイに移している)。ところが、その車には同僚のストリッパーやコメディアン、様々なペット、さらにはリーの母親のエヴァンジーまで乗り込んでしまいました。
 そんなある夜、エヴァンジーがバスタブのなかで介添人の死体を発見します。すぐに警察に届ければよかったのに、エヴァンジーは何と森に火をつけ、その隙に死体を土のなかに埋めてしまいます。翌日、保安官立ち会いのもと掘り返してみると、そこにあったのは別人の遺体でした。
 犯人探しが行なわれるなか、犯行を認めたのは、何とエヴァンジーだったのです……。

 前作と打って変わって、初っ端からトラブルメーカーがとんでもない事件を起こし、周りの人々が右往左往するスラップスティックコメディに仕上がっています。
『Gストリング殺人事件』とはパターンもテンポも大きく異なるので、ふたつの作品の間に作者の変更があったとも考えられます。しかし、それについては触れないと書きましたから、深く考察しません。

 バーレスクの内情を覗えるという点では『Gストリング殺人事件』の方が興味深いのですが、小説としての出来は『ママ、死体を発見す』の方が断然上です。
 その最大の理由として、お母さんのキャラクターがあげられます。
 タイトルこそジェイムズ・ヤッフェの「ブロンクスのママ」シリーズみたいですが、こっちのママは名探偵ではなく、ハチャメチャで大迷惑だけど、どこか憎めない人物です。ママは、娘の価値を高めるという行動原理に基づいているので、ときに世間の常識から大きく逸脱してしまいます。
 実際にいたら厄介な人物ですが、フィクションとしてはありがたい存在。彼女のお陰で、事件も登場人物も読者の感情も大きく動いてゆきます。

 しかも、この「ママの突飛な行動こそが謎を解く鍵」になっているという、ミステリーとしてもユニークな仕掛けが施してあります。
 さらに、犯人は、死んでもいないし行方不明にもなっていないのに途中から物語に登場しなくなり、探偵役であるビフの推理披露中どころか、到頭最後まで姿をみせない! こんな推理小説、寡聞にして知りません。

 ぜひ二冊セットでどうぞ。

※1:いうまでもないが、戦後活躍した日本のストリッパー(ジプシー・ローズ)とは別人である。

※2:『Gストリング殺人事件』では、口絵にリーがタイプライターに向かう写真を、さらに巻末には同じポーズのイラストをわざわざ掲載している。ここまですると、却って嘘臭くなる気が……。

※3:論創社(海外ミステリ、ダーク・ファンタジー・コレクション)は、フレドリック・ブラウンの未訳の長編、ヘンリー・スレッサーの「快盗ルビイ・マーチンスン」の単行本未収録分、「ナンシー・ドルー」シリーズの長編などを拾ってくれるので、とても感謝している。
 さらに、収録の仕方にも好感が持てる。例えば「快盗ルビイ・マーチンスン」は全十四編あり、十編がハヤカワ文庫に収められている。ほかの出版社なら、その十編に未収録の四編を加えた完全版を出すのではないだろうか。ところが、論創海外ミステリは、四編だけを『最期の言葉』という短編集に入れてくれた。これによって、既にハヤカワ文庫を持っている人はダブらずに済んだ。
 新しいファンを開拓するのではなく、「未訳のミステリー」というニッチな市場を狙っているのだろうが、復刊や完全版ばかりが目立つ昨今、こうした方針は大歓迎である。
 尤も、フィリップ・K・ディックの『人間狩り』や『髑髏』は、既訳ばかりで、がっかりしたが……。


『Gストリング殺人事件』黒沼健訳、汎書房、一九五〇