読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『フォックス・ウーマン』A・メリット、半村良

The Fox Woman(1949)A. Merritt(Ryō Hanmura fused Merritt's unfinished story in 1994)

 A・メリット(日本では本名の「エイブラハム・メリット」と記載されることもある)はパルプマガジン全盛期に活躍した作家です。
 SFというより、幻想味の強いファンタジー、秘境冒険小説が得意で、我が国では一九七〇年代に多くの作品が翻訳され、人気を博しました。

「The Fox Woman」は、未完のまま残された短編小説です。
 メリットの死後(一九四三年没)、イラストレーター兼作家のハネス・ボクによって続きが書かれ、『The Fox Woman and the Blue Pagoda』(一九四六)として出版されました(未訳)。

 一方、元の短編は、未完のままで、メリットの短編集『The Fox Woman and Other Stories』(一九四九)に収められました。
 メリットがこの短編を仕上げなかったのは、『砂塵の町』で知られるウエスタン作家マックス・ブランドと共作するつもりだったからだそうです。つまり、続きをブランドが書き、その後、メリットが最終的に手を入れる予定だったとか。
 ところが、このプランは、ブランドが断ったことで実現されず、「The Fox Woman」は中途半端な形で残されてしまいました。

 さて、日本版の『フォックス・ウーマン』は、メリットの短編を半村良野村芳夫が訳し、さらにその続きを半村が書き継いだもので、一九七八年から「小説現代」で連載されました。
 連載は中断されたものの、一九九四年に講談社ノベルスから刊行され、文庫化もされます。ただし、カバーや表紙まわりにメリットの名はなく、一見すると半村のオリジナルにみえます(書影)。
 また、単行本になったといっても、この小説は相変わらず完結していません。外国の大して有名ではない未完の短編を翻訳して続きを書くというだけでも珍しいのに、「未完の短編」を「未完の長編」に変えただけという点も非常にユニークです。

 なお、当時の半村は『妖星伝』七巻の刊行を巡って講談社とトラブルになっていました(編集者が原稿を紛失したらしい)。
『妖星伝』の七巻は、六巻で書き下ろしが予告されてから十三年も経ってようやく出版されましたが、『フォックス・ウーマン』が出版されたのは雑誌連載の十五年後です。メリットが短編を書いたときからは約半世紀が経過するという、何とも気の長い話となりました。

 いずれにせよ、日米の流行作家に「続きを書きたい!」と思わせる魅力がメリットの小説にはあったわけで、下手な感想なんかよりその事実の方が重要です。

 以下にあらすじを記します。メリットの短編部分が緑色、半村の加筆部分がピンク色となります。

 裕福な年長の夫(マーチン)を持つジーンは、義理の弟チャールズ夫妻とともに、軍閥時代の支那を旅行します。そこでジーンは妊娠していることをチャールズに知られたため、遺産を狙う彼は黄帮という秘密結社の呂剛と契約し、兄夫婦を亡きものにしようとします。マーチンは殺されるものの、ジーンは雲南省にある聖狐院の悠謙という道士に匿われます。
 やがて、ジーンは女の子を産み、息絶えます。兄の子が生き残っていることを知ったチャールズは、聖狐院に乗り込みますが、悠謙の幻術に翻弄されてしまいます。そして、「女の子が成長したとき、お前は復讐される」と告げられ、逃げ帰ってゆきます。

 チャールズは、崔遠明という富豪の美術品をアメリカに持ち込むことを条件に、安全な帰国を保証されます。一方、呂は軍閥を組織し、関東軍と国民政府の両者と通じ、武器の売買などで利潤をあげていました。
 しかし、崔の美術品である青銅の狐は、日本人の乗組員に盗まれ、右翼の大物の手に渡っていました。伯爵の三男坊、朱藤健介はその狐に導かれるように支那へ渡ります。


 メリットであれば恐らく、時間を一気に飛ばし、成長したジーンの娘がアメリカに戻る辺りから続きを書いていたのではないでしょうか(そう考える根拠は、短編が書かれた年の約二十年前から話が始まるため。娘が大人になれば舞台は現代に戻る)。
 しかし、半村は時計の針を急いで進めることなどせず、じっくりと周りを固めてゆきます。後半になっても登場人物が増え続けるなど、一冊で完結させるつもりなんてさらさらない豪快な書きっぷりです。
『太陽の世界』とまではいかないでしょうが、四、五巻分は考えていたのかも知れません。

 冒険小説から伝奇小説へシフトするため、歴史的事実を盛り込んだ上、軍閥、国民政府、関東軍、列強、ギャング、右翼、華族、警察などに属する架空の人物を、これでもかというくらい登場させます。
 舞台も支那アメリカ、日本と目まぐるしく移ります。関係者の多くは悪人ですが、だからこそ彼らの思惑が複雑に交錯し、物語に厚みを齎します。

 そんななか、若く逞しく正義感に溢れる健介は、恐らく主役となるであろう存在です。
 個性的な仲間を得た彼が、ジーンの娘と出会う。今後、支那事変、大東亜戦争へと突入してゆくなか、誰が敵となり、誰が味方となるのか。そして、娘の復讐は果たせるのか……というのが、この物語の未来図ではないでしょうか。

 ひとつひとつのエピソードは面白く、人物の相関、史実との関連も興味深い。加えて、単純な勧善懲悪ではなさそうなところも好感が持てます。
 きちんと完結していたのなら、半村の伝奇小説として十分及第点に達していた可能性があるでしょう。

 が、風呂敷を広げっ放しで、どっかへいってしまったのではお話になりません。
 この時点で判断すると「本筋から大きく逸れ、主人公である孤児が姿をみせず(大人にならず)、膨れ上がった登場人物の紹介のみの小説」なのですから、国枝史郎の『神州纐纈城』と同じ理由で、この作品も安易に評価したくないのです。

 となると、ボクの書いた『The Fox Woman and the Blue Pagoda』を読んでみたいですね。どこかのもの好きな出版社が名乗りをあげてくれないかしらん。

『フォックス・ウーマン』半村良野村芳夫訳、講談社文庫、一九九七