読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『コスミック・レイプ』シオドア・スタージョン

The Cosmic Rape(1958)Theodore Sturgeon

 SFファンは絶賛するのにもかかわらず、「何のこっちゃ分からない」と首を傾げたくなる作家がいます(グレッグ・イーガンなどはSFファンにもよく分からないらしいから除外する。また、僕の知識はン十年前で止まっているので、最近の作家も除く)。
 例えば、R・A・ラファティはSFをほとんど読まない僕にとって、何だかよく分からない作家です。でも、そのよく分からないところがSFファンにとっては魅力的なんだろうな、ということくらいは何となく分かります。

 一方、シオドア・スタージョンは、違いが分かる男限定というゴールドブレントみたいな雰囲気がつきまといます。
「分からない」といいたいけど、「スタージョンが分からないような奴にSFを読む資格はないぜ」といわれてしまう気がして打ち明けられない……。

 で、一九八〇年代に少しだけ齧って理解したふりをし、その後、もうスタージョンについて語ることもないかと考えていたところ、二十一世紀になって突如、新訳や復刊が進み、非常に驚きました。同時に、彼の死後、国内外で再評価が進んでいたらしいことを知ります。
 少なくとも若い頃に読んだときよりは楽しめるだろうと、家にあったり、新たに購入したりした短編集に挑戦しましたが、やっぱりしっくりこない……。

 いや、はっきりいってしまいましょう。
「何が書いてあるのか分からない」ではなく、「どこが面白いのか分からない」のです。

 評価の高い短編「時間のかかる彫刻」「不思議のひと触れ」「それ」「ビアンカの手」「死ね、名演奏家、死ね」「輝く断片」らも正直、大騒ぎするような作品とは思えませんでした。正しく九十パーセントがクズといった感じで、面白いと感じた短編はSFでは「金星の水晶」、それ以外では「ジョーイの面倒をみて」くらい。
 リアルタイムで読めば印象が異なるのか、はたまた僕がセンスオブワンダーに欠けているのか……。例えば、「死ね、名演奏家、死ね」とカズオ・イシグロの「夜想曲」、どちらを取るかと問われたら、僕は迷わず後者を選ぶでしょう。

 自分が馬鹿なのを棚にあげますが、SFやミステリーの評論家、翻訳者、ファンらは大袈裟に褒め称えることが多いような気がします。そのため、期待ばかりが膨らみ、実際読んでみると大したことがなくてがっかりすることが間々あるのです(コニー・ウィルスなんか正にそう)。
 声高に叫ばないでくれたら、密かに好きになる短編だってあったかも知れないのに……と、ここで愚痴をこぼしておきます。

 逆に、数の少ない長編は、短編よりも好きです。
 代表作とされる『人間以上』や『夢みる宝石』は壮大な設定の割に小説としてスケールが小さいのが難点ですが、『きみの血を』はスタージョンが苦手な僕でさえ傑作と呼ぶに吝かではない作品です。スタージョンらしい広がりのなさが却って幸いし、秘儀的な雰囲気が醸し出されています。
 とはいえ、『きみの血を』は一切の予備知識なしで読んだ方がよいと思うので感想は書きません。読了後も「これは一体どんなジャンルに分類される小説だったのか」を人の意見を鵜呑みにせず、ご自身で判断されると、さらに味わいが深くなるのではないでしょうか。

 というわけで、今回は代わりに『コスミック・レイプ』(写真)を取り上げます。
 タイトルは誤解を招きやすいのですが、ポルノグラフィでもないし、社会的なテーマのSFでもありません。いわゆる侵略もののSFで、フレドリック・ブラウンあたりが書きそうな話です。

『コスミック・レイプ』は、「To Marry Medusa」という短編を長編に焼き直したものです。
 米国では『コスミック・レイプ』と「To Marry Medusa」を一冊にし、サミュエル・R・ディレイニーの序文を付したものが出版されました。けれど、日本版は長編とディレイニーの序文のみの収録です。
 そのため、両者の違いが分かりませんが、元が短編だけあってワンアイディアをさっくりまとめた感じに仕上がっています。頁稼ぎをするために余計なものをつけ加えて収拾がつかなくなるといった愚を犯さなかったのは評価できます。
 いやはや、この感想文も前置きが長くなりました……。以後、簡潔に述べたいと思います。

 宇宙からやってきた生命体メドゥーサは、ホームレスの男性ガーリックに寄生します。メドゥーサは群状頭脳によって広大な宇宙の様々な生物と結びついています。ところが、地球の生物にはそれが通用せず、上手く支配することができません。そこでガーリックに、人間をすべてひとつの意識に統一する手助けをさせます。
 彼は、メドゥーサに命じられるまま材料を集め、ある機械を作りました。すると、その機械が新たな機械を作り、次々に増えてゆきます。それは世界中に宇宙船を呼ぶための装置だったのです。

 ガーリック(メドゥーサ)のパートと、それ以外の人(ローマの天才音楽少年、人妻を誘惑する男、臆病な幼稚園児、未開の部族の戦士、子沢山の家族、迷子の女児など)のパートが交互に語られます。
 スタージョンの作品はSFなのに自伝的で、社会不適合者や社会的少数者、虐げられている子どもたちが登場することが多いといわれます。勿論、この小説もその例に漏れません。
 さらに「群状頭脳」「マイノリティ」とくれば、多くの方が『人間以上』のホモ・ゲシュタルトを思い浮かべるのではないでしょうか。

 しかし、まさか同じことを二度やるはずはなく、あそこで単純かつ呑気な未来を描いてしまったこと(あるいは、それを批判されたこと)に対するスタージョンの意趣返しともいえるヘンテコな結末が用意されています。

 それでも腹が立たないのは、主人公にホームレスのおっさんを配置したからでしょうね。彼のお陰で、もの凄いことが起こりつつあるのに全体のトーンはユーモラスで楽しくなっています。ガーリックが東奔西走して、結局、元に戻るところは実に愉快です。
 小説としては欠点が多いのは承知しつつ、結局のところ、スタージョンのなかではこれが一番好きかも知れない。
『人間以上』が何となくしっくりこなかった方に、ぜひお勧めしたい一冊です。

『コスミック・レイプ』鈴木晶訳、サンリオSF文庫、一九八〇

サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロンゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中ガブリエル・ガルシア=マルケスオクタビオ・パスほか
→『サンディエゴ・ライトフット・スートム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『ジュリアとバズーカアンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『ジョン・コリア奇談集』ジョン・コリア
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン