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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『テスケレ』ルーチョ・チェーヴァ

イタリア

Teskeré(1971)Lucio Ceva

 僕は中学生の頃(一九八〇年頃)、SFなかでも筒井康隆が大好きで、文庫になったものはほとんど買っていました。粗方読み尽くしてしまうと、とにかく少しでも似た感じの小説はないかと、飢えた狼のような目で内外の短編集を漁りまくりました。
 そこそこよいものもあり、期待外れもあり、劣化コピーのようなものもありましたが、質より量を求めていた中学生は、玉も石もまとめて貪ったのです。

 そんなとき、雑誌「奇想天外」で連載されていた『みだれ撃ち瀆書ノート』というブックレビューが刊行され、その一番最初に掲載されていたのが、ルーチョ・チェーヴァの『枢軸万歳』でした。
 しかし、僕の心を捉えたのは、以下の箇所です。

 いやあまったく、「テスケレ」は面白かった。あれをまだ読んでいないという人には、ぼくは誰かれかまわずすすめているのである。読んだ人は必ず満足し、面白かったと言う。

 速攻で買い求めました。
 結果、大笑いはできませんでしたが、筒井テイストの実験的短編を求めていた僕の欲求を十分に満たしてくれ、さすが本人が推薦するだけのことはあると感激したものです。
 その後、筒井は、よりアバンギャルドな作風へとシフトし、ゲラゲラ笑えるだけのSFは余り書かなくなりました。僕もそうした小説を探し求めるのをいつの間にかやめ、SFからも距離を置くようになってしまいました(それでも、筒井の小説は、今もほぼすべて読んでいる)。

 それから約三十年が経過した現在では、チェーヴァの名前を聞くことは、ほとんどなくなりました。彼の本業は弁護士だそうなので、あるいはその後、筆を折ったのかも知れません。
 チェーヴァの処女短編集である『テスケレ』も、今の時代にマッチするかといえば疑問です。けれど、だからこそ、こういうのを面白がっていた頃が懐かしく思い出されるのです。
 勿論、若い方にとっても、レトロな不条理系諷刺小説として楽しめると思います。

テスケレ」Teskeré
 トルコ独立戦争後、イタリアの使節団がトルコ共和国を訪れます。ここではテスケレという身分証明書が発行されており、これを持たない国民は生きる権利がありません。しかも、テスケレの有効期間は二時間しかないのです。
 命のパスポートを更新するため常に行列に並び続けるというナンセンスな設定ですが、実はこれ、国民の自由と平等のための大真面目な制度なのです。革命の馬鹿馬鹿しさと同時に、西欧の文化をそのまま受け入れることへの批判が含まれています。ほとんどが老元帥の語りという点は、イタロ・カルヴィーノQfwfq老人に似ています。

プレネスティノの方位」Azimut al Prenestino
 同じアパートに住む提督と呼ばれる男に、突然、部屋を占拠されてしまう夫婦。何と提督は、この部屋を戦艦と思い込んでいるのです。妻は必死に抵抗しますが、夫は提督のいいなりになります。それどころか、彼は提督を心酔する余り、本当に船上にいるつもりになってしまいます。
 特殊な状況下において、狂人に心を奪われてしまうマインドコントロールの恐怖を描いたとも読めますし、錯乱した夫の白日夢とも取れます。いや、ひょっとすると狂っているのは妻の方なのかも知れません。

七面鳥」Figueroa ocellata
 クリスマスになると社員に七面鳥をプレゼントする習慣のある大企業。今年は、何と生きたまま配ることになりました。ところが、社員たちは七面鳥を捌かず飼うことにしたため、五千羽が街に溢れてしまいます。
 小さな工業都市の雇用を担っている企業ですから、住民は何となくつながりを持ちつつ、やはりそれぞれ趣味も志も違うため協調性はありませんでした。それをひとつに結びつけたのが七面鳥です。円滑な人間関係を築くためとはいえ、でかくてグロテスクな鳥が街を占拠する不気味で笑えます。なお、原文は、職種によって語彙や口調が大きく異なるそうですが、その辺の面白さは余り伝わってきません。

十月祭
 若い頃、自分には想像力があると自惚れていた男性。社会人になり家庭を持った後は、その力を封印してきました。ところが、十月祭の雰囲気に呑まれ、自慢の想像力を働かせたところ、とんでもない悲劇に見舞われます。
 ジェイムズ・サーバーの「虹をつかむ男」のブラック版とでもいいますか。「プレネスティノの方位」と同様、残酷な想像をしたのは男なのか子どもたちなのか分かりません。

メナンドロスに関する学術講演
 古代ギリシャの喜劇作家メナンドロスについての講義の前に、教授が受講生に向かって、話を聞く姿勢をこと細かく説き始めます。
 講義中は筋肉の小さな振動もいけないとか、魚のように鰓呼吸にしろとか、受講生は教授が期待していることしか発言してはいけないとか狂気じみた規則が述べられ、守らない場合は肉体的に抹殺されるなんてところにまでいってしまいます(落語の「寝床」にちょっと似てる)。解説によると、これは当時の過激派学生に対する教師の過剰な防衛策を描いたものだそうです。

金持ち向けのスナック・バーを開く計画
「金持ち向けのスナック・バー」は、極端に狭い上、役人に占拠され入ることができません。一方、付帯施設である「金持ちでない人たちのためのぜいたくな店」は金持ちが常連客となります。
 社会心理学のパロディになっているようですが、理不尽すぎて頭がおかしくなります。尤も、現実にも頭でっかちで意味不明の計画書が存在しそうなところが恐ろしい。

幽霊の悟性
 人類エクトロジー会議における、姿をみせない幽霊の講演です。霊には、幽霊とそこに至る段階である怨霊とがあり、怨霊は悩んだり喜んだりと人間臭い存在です。幽霊の方は風のように人間の精神に介入してくるのだとか。
 饒舌な幽霊の語りがおかしい。散々喋り散らした後、肝腎の幽霊の悟性については「話し出すと長くなるから」とやめてしまうところでは「結局、何しにきたんだ!」と突っ込みたくなります。

大演習
 人々に羨望される銃殺刑執行隊でしたが、ここ何年も刑は執行されておらず、この先も暫くはなさそうです。そこで、隊はマネキン人形を使った演習をしながら各地を巡ることにしました。
 臨終の祈りや検死の真似ごとまでする演習が、まるでショーや祭のように人々を喜ばせます。けれど、本質を考えると非常に不気味です。皆がいかに興奮したかは「(この日)少なくとも八人の娘が妊娠した」というラストの一文から明らかです。

その日こそ怒りの日なり
 樽屋の娘の吐き出したスイカが金持ちの赤ん坊の白い掛け布を汚したという些細なきっかけで、陰惨な金持ち狩りへと発展します。貧乏人たちは金持ちを殺戮し、その肉を喰らうと、夜が更けるに従って、今度は仲間同士殺し合い、とうとう一夜にして全滅してしまいます。
 市民たちは、金持ちがいなくなれば、誰が貧乏人を雇ってくれるのかとか、貧乏人だけになっても、そこでまた貧富の差が生じるとか、富を平等に分配する共和国を作ろうといった幼稚な議論の果てに自滅してしまうのですが、まるで人類の歴史を一日に凝縮したようです。

『テスケレ』千種堅訳、河出書房新社、一九七四