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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『さあ、すわってお聞きなさい』エレン・クズワヨ

南アフリカ

Sit Down and Listen: Stories from South Africa(1990)Ellen Kuzwayo

 エレン・クズワヨは、南アフリカソーシャルワーカー国会議員として活躍した女性です。一九八五年、七十歳を過ぎて出版した自伝『Call Me Woman』(※)が評判となり(ナディン・ゴーディマも絶賛した)、世界的な著名人となりました。
 クズワヨは恵まれた家庭に育ち、しっかりとした教育を受けました。しかし、アパルトヘイト政策は、最も弱い立場である黒人女性を容赦なく痛めつけ、彼女も仕事や結婚の面で相当な苦労をしたそうです。黒人は白人に支配され、さらに女性は男性に支配される構造の社会で生きてゆくだけで大変なのに、クズワヨはソーシャルワーカー、さらには政治活動家として底辺にいる黒人女性を支えてきました。
 ネルソン・マンデラの本は『自由への長い道』など日本でも沢山出ていますが、黒人女性の視点である『Call Me Woman』はさらに興味深い。今からでも遅くないので、ぜひ翻訳して欲しいと思います。

 さて、『さあ、すわってお聞きなさい』は、アフリカの伝統的な口承文学を書籍にしたもので、いわば「エレンおばあちゃんのお話」といった趣です。といっても民話や伝説ではなく、クズワヨが生きた時代の体験談や実話で、ある意味、この本は南アフリカの名もなき女性たちの自伝といえます。
 作者による前書きには「こうした物語は文字にするのではなく、焚き火を囲んで語りたかった」とありますが、クズワヨは既にこの世におりませんし、僕はツワナ語も分かりませんので、本にしておいてくれてよかったと思います。

 全体は五つの章に分かれていて、それぞれの章のテーマに沿った話が二〜四編収められています。
 いずれも語り口は優しく分かりやすいので、小学生くらいから読むことができると思います。一種の短編集ですから、例の如く特に面白かったもののみ取り上げてみます。

振り返れば
 第一章のテーマは「臆病」です。ある少年の家に深夜、ブラックジャックと呼ばれる、白人の手先の乱暴な黒人警官が踏み込んできました。彼らは少年の母を裸にして小突き回しましたが、父親はただ立ち尽くすだけで何もできませんでした。
 そんな父をどう思うか問われたクズワヨは、その一件だけで父を臆病と判断し軽蔑してはいけないと説きますが、少年は納得しませんでした。彼は、白人のいいなりになってビクビクしながら暮らすことを潔しとしません。そんな若者の勇気が、後にソウェト蜂起(アパルトヘイト体制崩壊のきっかけとなった暴動事件)につながるのです。

ふた股をかけた男
 第二章のテーマは「結婚」です。人も羨む美女の結婚式に、子どもを連れた謎の女性が現れます。彼女は花婿の妻で、男は重婚しようとしていたのです。
 教訓を盛り込んだ物語であれば、懲らしめられるのは二股男の方です。しかし、男は元の鞘に戻り、花嫁はショックで魅力的な容姿も笑顔も失い、友だちもいなくなってしまうという皮肉な結末になっているのがユニークです。

教育 ―かけがえのない文化のために
 第三章のテーマは「家族」です。過酷な環境と白人の支配に脅かされる黒人にとって、何よりも大切なのが家族です。家族は、ただ愛し合い助け合うだけではなく、誰が生き残れないか決めるためにも重要な集団なのです。
 さて、裕福な黒人のなかには白人の文化を安易に真似しようとする者がいます〔アフリカーンス語でswart wit mense(黒い白人)とか、swart Engelsman(黒いイギリス人)と呼ばれる〕。この物語に登場する親は、子どもたちに責任感や他人を大切にする心を伝えなかったがために、彼らは堕落し、家庭は崩壊してしまいます。
 勿論、そうした美徳は世界のどこにいっても存在するはずです。しかし、南アフリカの白人たちは、そんな当たり前のことを忘れさせてしまうほど非人間的だったという証なのでしょう。

待てば報われる
 財産を相続させることのできる男児が欲しいコーツォは、妻のモシディと相談してふたり目の妻をもらうことにしました。ところが若い妻には子どもができず、モシディの方が妊娠してしまったのです。それによって、平和だった家庭に波風が立ち始めます。
 一夫多妻制は、新生児の死亡率が高く、大家族で支え合う必要のある黒人社会が生み出した知恵のひとつです。けれども、必ずしもよい結果を生むとは限りません。十人の美しい妻より、ひとりの誠実で働き者の妻の方が遥かに価値があるのです。

バサディおばあさん
 第四章のテーマは「家」です。かつて南アフリカでは、黒人で家を持ったり借りたりできるのは結婚した男のみでした。夫と死別した妻は、子どもを抱えてホームレスになるか、再婚するしか選択肢がなかったそうです。夫の死後すぐに再婚するのは現実的でなく、多くの女性は、家を目当てにした男の食いものにされました。
 また、賃金の安い黒人は貯金もできず保険にも入れないため、高齢者になったとき、より深刻な現実が待っています。家を追い出され露頭に迷う老人、間借り人に家を乗っ取られる老人が数多く現れます。
 バサディおばあさんもそのひとりで、彼女は乗っ取りに抵抗し、殺される羽目になります。唯一の救いは、脅迫に負けないおばあさんの強固な意志のお陰で、家が愛する甥の手に渡ったことです。

いつまでも消えない印象
 第五章のテーマは「伝統」です。黒人女性のネオは、白人の文化や道徳的価値観は優れていると教育されてきました。しかし、研修でアメリカを訪れた際、若い黒人女性の多くがレイプや売春によって妊娠していることを知ります。
 白人は世界中の黒人を劣った人種と看做しています。しかし、肌の色や人種で人間を差別する人々の文化が本当に優れているといえるのでしょうか。
 南アフリカの黒人たちは「人が人でいられるのは、ほかの人がいるから」という規範を持っています。人々が助け合いながら生きてゆく社会こそが最も素晴らしいことにネオは気づくのです。

※:巻末の解説(福島富士男)によると「Woman」は「女性」というニュアンスではなく、「おい。そこの女!」というときの「女」に当たるらしい。つまり「Call Me Woman」は「私を女と呼べるもんなら呼んでみなさい!」って感じだとか。

『さあ、すわってお聞きなさい』佐藤杏子訳、スリーエーネットワーク、一九九六