読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『黄金の眼に映るもの』カーソン・マッカラーズ

Reflections in a Golden Eye(1941)Carson McCullers

 今からちょうど三年前、二〇一二年最後の読書感想文がカーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』でした。今年最後の更新では、彼女の次の作品である『黄金の眼に映るもの』(写真)を取り上げてみます。

 まずは、あらすじから。
 南部にある陸軍駐屯場。ペンダートン大尉の妻のレオノーラは、隣家のラングドン少佐と不倫しています。ところが、大尉は同性愛者で、妻より少佐に嫉妬するのです。そして、少佐の妻アリソンは、夫と別れ、献身的なフィリピン人の召使いアナクレトとともに生きてゆこうと計画しています。
 一方、厩舎担当の一等兵ウィリアムズは、レオノーラを夜な夜な覗きみるだけでなく、彼女の部屋に忍び込むようになっていました。

『黄金の眼に映るもの』は、文庫本で百三十頁程度なので、長編というより中編でしょうか。『心は孤独な狩人』同様、群像劇であるにもかかわらず、作者の分身と思しき人物が現れないのがマッカラーズの凄さです。
 いや、実をいうと、アリソンと作者は少しは共通点があるのかも知れません。『心は孤独な狩人』のミック、『結婚式のメンバー(夏の黄昏)』のフランキー、「天才少女」のビーンヒェンだってマッカラーズに近い存在といえるでしょう。
 しかし、並の若手作家ならその視点でしか描写できなかったりするところ、マッカラーズは人種も性別も年齢も異なる人物を見事に操ってしまうところに感心させられます。
 ひょっとすると、才能のある作家にとっては年齢も社会経験も取材も大して重要でないのかも知れないなと、彼女の小説を読むたび思うのです。

 さらに、『針のない時計』の解説で田辺五十鈴が書いていましたが、ウィリアム・フォークナーは南部の家父長を描いたものの、自らが典型的なそれであったため、彼らの弱さを捉え切れなかった。しかし、マッカラーズは女性であるが故に、クレイン判事(南部の野蛮な栄光にすがる老人)の心の脆弱さを浮き彫りにできた、なんて見方もできます。
『黄金の眼に映るもの』においても、軍隊という男の世界を、二十代前半の女性がさらっと描いてしまうのですから恐れ入ります。それもゲイで盗癖のある大尉、出世から取り残された老士官、発達障害を抱えているらしき兵士といった複雑な人物を不気味なほどリアルに表現しています。

 さて、この小説の主要人物である六人の間には大きな溝が存在しています。夫婦、愛人、同僚、主従にかかわらず、相手のことは何も分かっていないし、分かろうともしていないのです。
 アリソンと召使いのアナクレトは一見信頼し合っているようにもみえますが、人種や生まれ育ちの違いという壁は高く、根っこの部分では互いに理解していると思えません。
 彼らは互いを憎んだり、愛したりするものの、それはまるで演技のように長続きせず、魂が籠っていません。

 結局、彼らは自分では何ひとつ決められない人々なのです。
 特に大尉と一等兵は、立場こそ違えど性質は非常に似ています。本質的に孤独で、自分の居場所をみつけられないからこそ憎しみ合うといえます。

 そのなかで唯一、毛色が異なるのがアリソンです(それ故、作者に近い?)。皆から馬鹿にされ、軽んじられていた彼女でしたが、夫の浮気に抵抗するために自らの乳首を切り落としたり、夫の元を去るといった行動力をみせ、早々にこの世を後にします。
 残された者たち(大尉、レオノーラ、少佐)は、まるで燃え滓のようになってしまいます。奇妙な三角関係は形骸化し、これからどうすればよいのか誰も答えをみつけられないのです。

 ネタバレになるので詳しくは書きませんが、物語の最後に誰かが誰かに殺されます。
 フィクション史上、これほど幸せで満足げな被害者はいないかも知れません。

『黄金の眼に映るもの』田辺五十鈴訳、講談社文庫、一九七五

→『心は孤独な狩人カーソン・マッカラーズ

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