読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ランゲルハンス島航海記』ノイロニムス・ノドゥルス・フリーゼル

Paralektikon - welches ist Abriß & Versuch einer umständlichen Historie von der Anlage und Umwelt der Langerhans'schen Insulae1984)Neuronimus Nodulus Friesel

「読書感想文」といいつつ、このブログは、コンプのためのリスト作りとか、中身の分からない短編集の紹介とか、いわば「自分でやるのが面倒な(どーでもいい)ことを代わりにやる」のを真の目的としています。
 今回の記事も正にそれに当たります。それが何かは最後まで読むと分かりますよ(ざっと検索した限りでは、それについて書かれたサイトはみつからなかった)。

「架空の自然科学専門書」は、ひとつのジャンルといえるほど人気があります。
 生物学の分野では、ハラルト・シュテュンプケ(ゲロルフ・シュタイナー)の『鼻行類』、レオ・レオーニの『平行植物』、ドゥーガル・ディクソンの『アフターマン』、ジョアン・フォンクベルタの『秘密の動物誌』などが特に有名です。

 一方、ノイロニムス・ノドゥルス・フリーゼルの『ランゲルハンス島航海記』は、架空の地誌です。
 偽の旅行記は、小説としてなら腐るほどありますが、専門書の体裁を取ったものは珍しいかも知れません。雰囲気が近そうなのは、ジョン・マンデヴィルの『東方旅行記』とか、ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルの『世界周航記』を元にしたドゥニ・ディドロの『ブーガンヴィル航海記補遺』なんかでしょうか。
 個人的には、長年愛用しているアルベルト・マングウェルとジアンニ・グアダルーピの『世界文学にみる架空地名大事典』もぜひ含めたいと思います。

『ランゲルハンス島航海記』は、発行者(本当の著者であるホルスト・イーベルガウフツ?)が、十八世紀末にドイツ語で書かれた書籍を、ヘイ・オン・ワイ(英国の古書店街)で発掘したという設定になっています。
 フリーゼルは勿論、架空の人物で、Frieselは粟粒疹、Nodulusは小結節からきているとか(Neuronimusは医学辞典を三冊調べたが、載っていなかった。Neuro-なので、神経系の疾患かも)。
 これで分かるとおり、この本は病気や人体の部位をもじったものが多い。イーベルガウフツは分子生物学者ということですから、自分の専門分野をパロディにしたのでしょう。

 ときはフランス革命真っ只中の一七九二年、フリーゼルは、友人の英国人ベイジル・ポンスとともに調査船ゼンドー号に乗り込み、ランゲルハンス諸島に赴きます。
 ランゲルハンスは数多くの島嶼からなる群島で、危険な岩礁や小島が多く、入港は困難を極めます。気候は温暖ですが、冬季は雪が多いという不思議な場所。ところが、ランゲルハンス島が世界のどこに位置するのかは一切記載されていません。
 フリーゼルは、群島全般、中心となる島ターベ、そのほかの小島、クラインハンス群島、カレーヤ群島に分けて報告を認めます。

 勿論、この本はナンセンスな言葉遊び、大航海時代の航海記のパロディというだけでなく、諷刺文学の側面もあるのですが、そっちはジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』という毒々しき傑作があるため、どうしてもインパクトに欠けるといわざるを得ません。
 ここはやはり、駄洒落の洪水に身を任せるのがよいでしょう。

 全編とにかく言葉遊び、語呂合わせ、地口に満ちていて、普通の読者はその過剰さに辟易するかも知れません。他方、こういうのが好きな人には堪らない本でしょう。質の低い駄洒落レベルのものも数多く含まれていますが、この手のテクストは下らなければ下らないほど楽しいので全く問題はありません。
 訳者も日本語で真剣に遊んでおり、好感が持てます。わざと間違った漢字を使っている箇所(仏理とか淫刷とか)もありつつ、訳者あとがきには本当の誤植もあったりするのがご愛嬌ですが……。

 その一方、注釈が大分残ってしまっています。注は読書のリズムを損なうので、ナンセンス文学の場合、余り多いのは興醒めです。
 まあ、この本は耳慣れない医学用語が多いため、やむを得ない部分もあります。あの柳瀬尚紀でさえ、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』には注釈をつけてますからね(尤も、あの本の初版は一九七四年だが)。
 ちなみに僕は、二十年ほど医学書の編集の仕事をしているため、門前の小僧何とやらで、注釈を少々煩わしく感じる部分がありました。

 珍獣やおかしな風習の図版も豊富に掲載されており、装丁も凝っています。通読しなくとも、ときどき取り出して眺めるだけで楽しい本なので、古書店でみつけたら、ぜひどうぞ。

 さて、ここから先が今回の本題となります。
 この本は「発行者のあとがき」の一部(まるまる二頁分)が暗号になっていて、「解読文をご要望の諸氏は、愛読者カードに明記のうえ、ご請求下されたし(博品社)」と注意書きがあります。しかし、残念ながら博品社は既に存在しないため、解読文を請求することができません。
 また、解読自体は特に難しくないものの、やたらと手間が掛かり、僕のように暇な人間でなければ放置してしまうことでしょう。
 とはいえ、折角の謎をスルーするのは勿体ないので、僕が解読した文章を下記に掲載しておきます。なお、暗号には色々と間違いがあるのですが、ややこしいので勝手に修正してあります。また、読みやすいよう適宜、句読点を補いました。

(131〜132頁)
 親愛なる読者へ
 あなたがどこの誰であれ歓迎する。明らかにあなたは非常に苦労して未知の文書を解読する以外に時間の潰し方を知らない少数で限られた部類の人間のひとりである。さて、それらすべてが少なくともあなたにとって無駄骨にならないように、私はあなたにある大きな秘密を打ち明けたい(そのほかにもさらにもう少し文を続ける必要がある。このテキストに文字が十分出てきて、記号の頻度を数えることで実際にもまたテキストを解読できるようにするためである。また、より簡単にするために、私は大文字の使用も諦めたが、勿論このことはテキストを解読して初めて分かることである)。
 それで親愛なる読者よ、もしあなたがウビョウニョウト島の踊る小男の石碑文を解読するのが困難なのであれば(ちなみに、アーサー・コナン・ドイル作のシャーロック・ホームズのある犯罪事件の物語にもまたこういう件がある〔関田注:当然「踊る人形(The Adventure of the Dancing Men)」を指す〕)、次のことを教えておこう。つまり、テキストのあの島の記述のなかに、その暗号を解く鍵があるということである。
 それでも相変わらず分からないのなら、次の単語をとにかく逆に読んでみて欲しい……うごんしぎでう。尤も、これ以上ヒントを与えるつもりはない。実際、まともな辞典を使えば、これで十分に違いないからである。それではよろしく、未知の読者よ。そして、お元気で。

 この文章は、99頁に記載してあるウビョウニョウト(糖尿病を逆から読んでいる)島の象形文字(腕木信号)を解くヒントとなっています。
 このロンゴロンゴに似た象形文字写真)はアルファベットに対応しているような気がするものの、解いたところでドイツ語だったら読めませんし、そもそも図版自体がかなり雑に描かれていて、何となく挑戦する気になれないのです。
 もしかすると、死ぬほど暇なときに解読してみるかも知れませんので、興味がある方は気長にお待ちください。

『ランゲルハンス島航海記』 内藤道雄、奥田敏広訳、博品社、一九九二

Amazonで『ランゲルハンス島航海記』の価格をチェックする。