読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『奇術師の密室』リチャード・マシスン

Now You See It ...(1995)Richard Matheson

 リチャード・マシスンの小説は、数多く映画化されています(『アイ・アム・レジェンド』『激突!』『ある日どこかで』『縮みゆく人間』『奇蹟の輝き』などなど)。
 また、短編も評価が高く、個人的には若い頃に読んだ『13のショック』や『モンスター誕生』といった短編集に思い入れがあります。

 そのせいか、マシスンといえば、五十年くらい前に活躍した作家というイメージを持ってしまいます。ところが、『奇術師の密室』は一九九五年と、ついこの間といってよいくらい新しい作品です(※)。
 いや、それどころか、邦訳のあるものでは『闇の王国』が二〇一一年の刊行ですから、本当に最近まで現役の作家だったわけです(亡くなったのは二〇一三年)。

『奇術師の密室』は、邦題どおり奇術師の物語です〔原題はマジシャンの常套句「Now You See It, Now You Don't(ほら、ありますね。はい、消えた)」から取られている〕
 推理小説と奇術は共通点が多いせいか、マジシャンが登場するミステリーは数多くあります。
 僕の好みは、ビル・S・バリンジャーの『歯と爪』や、クリストファー・プリーストの『奇術師』(奇しくも『奇術師の密室』と同じ年に刊行された)辺り。最近では、ジョン・ガスパードの『マジシャンは騙りを破る』や『秘密だらけの危険なトリック』が面白かったです。

 さて、『奇術師の密室』は、こんな話です。

 伝説のマジシャン、エミール・デラコートが脳溢血によって寝たきりになり、十四年が経っています。家族は、植物状態だと思っていますが、実際は体が動かず話ができないだけで、目と頭は活発に動いています。
 父の跡を継ぎ「偉大なるデラコート」と呼ばれるマジシャンになった息子マックスは「奇術の部屋」にエミールを寝かしています。
 その部屋を舞台に、マックスは、不貞を働いた妻カサンドラ、浮気の相手でマネージャーのハリーにマジシャンらしい復讐をします。エミールは、その様子を眺めていることしかできません……。

 本書は二部からなっています。
「奇術師の選択(マジシャンズ・チョイス)」と題された第一部は、マックスとハリーが密室において一対一で対決します。妻に浮気をされた夫と、浮気相手の駆け引き。そう、映画『探偵スルース』とよく似た展開と雰囲気で進行するのです。
 ただし、『探偵スルース』は、老練な推理小説家と青年の化かし合いでしたが、こちらはマックスの一方的な攻撃といった感じ。奇術師だけに、周到に用意された仕掛けを元に、物理的・心理的な揺さぶりでハリーを追い詰めてゆくのが読みどころです。
 嫉妬からくる狂気に支配されたと思わせる突飛な行動にも当然意味があります。マックスは最後に、見事、目的を達します。

 読者も、優秀な手品師の手の上で弄ばれたような感覚に陥るのではないでしょうか。ここで終わっても、満足できる中編となっていたと思います。
 ところが、この先に、さらに驚くべき仕掛けが用意されています。

 第二部「タネもしかけも……」は、何者かの通報を受けた保安官が家にやってくるところから始まります。マックスはハリー殺害を認め、保安官とカサンドラはハリーの遺体を探します。
 第一部と同様、ここでもマックスは奇妙な行動を取り続け、登場人物のみならず、読者をも煙に巻きます。勿論、それにもきちんとした理由が用意されており、そこからラストに向かって怒涛のどんでん返しが始まります。

 ま、その辺はネタバレになってしまうこともあって、これ以上は述べません(推理小説として十分及第点であることだけは保証する)。
 そんなことより、僕の興味は『奇術師の密室』の最大の特徴に向かいました。それは、語り手のエミールが寝たきりだという点です。

 実をいうと、マジックにとって最も重要なのは、仕掛けでも、テクニックでもなく、「観客」です。みてくれる人がいなければ、手品など何の意味もないからです。
 マシスンがこの小説を三人称ではなく、ほぼ物語の外に存在しているエミールの視点で描いたのも、観客の存在を意識したからでしょう。

 作中でも言及されますが、エミールは気が散ったり、席を立ったりしない真面目な観客です。
 一方で、拍手もしなければ、吃驚した顔もできません。これは、お世辞にも理想的といえないのではないでしょうか。

 しかし、よく考えると、小説を執筆中の作者にとっての読者は、エミールと似たようなものかも知れません。観客を前に勝負をする奇術師と異なり、作家は目にもみえず、反応もない架空の読者を前に、苦しい戦いを強いられることとなります。
 大ベテランのマシスンでも、ひょっとすると書くたびに辛い思いをしていたのかもと、つい想像してしまいます。

 そういう意味では大変面白い作品なのですが、ミステリーとしては……、うーん、傑作とまではいえないかも……。
 推理小説において、語り手が寝たきりという特殊な設定を用いると、読者は誰しも「間違いなくトリックと密接な関係がある」と考え、期待をします。要するに、作者自らがハードルを上げているわけです。
 であるならば、その設定を十分に活かした叙述トリックを仕込んで欲しかった。虚構内部のトリックは十分面白いだけに、ちょっと残念です。

※:本書は、その前年に亡くなったロバート・ブロックに捧げられている。ブロックは奇術好きだったらしく、『血は冷たく流れる』には、奇術師でもありミステリー作家でもあるクレイトン・ロースンへの献辞がみられる。また、ブロックは「奇術師」という短編も書いている(『予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖』収録)。これも、恋人に浮気をされた奇術師が復讐する話である。

『奇術師の密室』本間有訳、扶桑社ミステリー、二〇〇六