読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『オズワルド叔父さん』ロアルド・ダール

My Uncle Oswald(1979)Roald Dahl

 ロアルド・ダールほどの人気作家になると、絶版の本を選ぶのが大変です……。
 が、彼も「異色作家短篇集」つながりなので、取り上げざるを得ません。

「困ったなあ」と思いつつインターネットで検索すると、何と現在、『オズワルド叔父さん』(写真)が新本で購入できないではありませんか。
 ダールといえば「児童書」「奇妙な味の短編」「飛行士もの」「自伝」というイメージが強いかも知れませんが、『オズワルド叔父さん』は何十冊と翻訳されている彼の著書のなかで、唯一の大人向け長編小説です。しかも、ユーモア小説の傑作ときています。
 愚図愚図していると増刷・復刊されてしまう虞があるため、さっさと感想を書いてしまいます。

 と、その前に、ダールという作家は、どうしてこんなに人気があるのか、少し考察してみたいと思います。
 阿刀田高は『キス・キス』や『飛行士たちの話』(※)の解説で、星新一と「ダールにも結構愚作がある」という意見で一致したと書いています。「日本の短篇作家のほうがおおむねよい作品を書いている」「率直に言えば五十パーセントくらいは落胆させられたように思う」といった具合で、傑作の数を阿刀田は十編、星新一は二、三編としています。

 で、何となくこれが定説になってしまった感があります。「ダールは、三振は多いが、当たればデカいタイプなんだ」と考える人が多くなったわけです。
 しかし、僕はこの意見に全く賛同できません。はっきりいって、ダールを読んで「外れ」と思ったことはほとんどない。
 確かに、オチの威力だけみたら「南から来た男」「味」「女主人」「番犬に注意」レベルの短編は多くないかも知れません。けれど、どうしてもアイディアに傾きがちなエンターテインメント系の短編にあって、ダールの描く人々は実に生き生きとしているのです。

 とどのつまり、ダールは「記憶に残る」のではないかと思います。
 僕の場合、大抵の短編は、少し時間が経つと綺麗さっぱり内容を忘れてしまいます。下手をすると、短編集一冊全部、読んだのかどうか分からなくなってしまうこともあります。
 ところが、どういうわけかダールの短編は残ります。筋やオチは思い出せなくとも、ちょっとした場面や設定、科白などが頭と心に刻み込まれるのです。

 上述した代表作は勿論のこと、僕が最も好きな短編「韋駄天のフォックスリイ」は、わざわざ読み返さなくとも、細部まで思い出せます。
 何十年も続くささやかな通勤の楽しみ、ある日、気障な男が現れ、それを台なしにする。その男は、学生時代、自分をいじめた奴だと気づく。過去にそいつから受けた陰惨な仕打ちをじっくりと説明し、いよいよ復讐に移ったとき、衝撃的なオチが……。
 焦らず、慌てず、結末へ向けて段取りを整えてゆくのが実に上手い。すべての材料が揃った後、一気に勝負をかけてくるのですから、面白くならないはずはありません。

 もうひとつ、一度読んだら忘れにくい理由として、読者がイメージを膨らませやすいように書かれている点がもあげられます。
 例えば「南から来た男」を読み返してみると、ライターをつけるシーンはわずか一頁であることに驚きます。ドキドキしながら回数をカウントしたと思っていましたが、案外とあっさり書かれているのです。
 にもかかわらず、強烈な印象を植えつけるテクニックには「うーん」と唸らずにいられません。

 さて、『オズワルド叔父さん』に話を戻します。
 実をいうと、オズワルド・ヘンドリクス・コーネリアスが登場するのは、この長編だけではありません。初登場は「来訪者」(一九六五)という短編で、その後、「雌犬」(一九七四)と続きます〔この二作は、大人向けの少々エロティックな短編集『来訪者』(Switch Bitch)に収録されている〕。
 どれも、甥の「ぼく」がオズワルド叔父さんの日記を公開するという体裁になっています。ちなみに、オズワルド叔父さんの日記は二十八冊あるのですが、ダールが亡くなってしまったため、残りは発表されませんでした。とても残念です。

 というわけで、今回は短編ふたつを加えた感想を書きます。

来訪者」The Visitor
 突然、「ぼく」の元に木箱に入った二十八冊の豪華本が届きます。中身は、三十年間音沙汰のないオズワルド叔父さんの日記でした。叔父さんは莫大な財産をすべて失ってしまったため、この日記を甥に譲るというのです(叔父さんとは、「ぼく」が五歳のとき、一度会ったきりの関係)。

 叔父さんの日記を全部読んだ「ぼく」は、それがジャコモ・カサノヴァの『我が生涯の物語』にも匹敵することを確信し、差し障りのない部分を公開することにしました。
 ちなみに「来訪者」は第二十八巻の最後のエピソード(一九四六年、五十一歳)で、その後の叔父さんの消息は杳として知れません……。

 オズワルドは無類の女好き。美形で、会話が巧みで、知識が豊富なので女性にもてますが、飽きっぽい性格のため、ずっと独身を通しています(同じ女性とは一度しか性交しない)。また、蛛形綱やステッキの蒐集といった趣味も持っています。
 シナイ砂漠を横断中、車の故障で立ち往生していると、近くに住む富豪が通りかかり、屋敷に案内されます。そこには美しい妻と娘がいました。
 真夜中、オズワルドの部屋にこっそり忍び込み、情交を結んだのは果たしてどちらだったのでしょうか。

 女にもてる、潔癖症、梅毒に侵されたガソリンスタンドの主人といった伏線を生かしたブラックなオチが待っています。
 それにしても、オズワルドの最後のエピソードから、シリーズものにつなげてしまうダールのセンスはさすがです。すべてを読み終えた後、思い返すとしみじみさせられます。

雌犬」Bitch
 第二十三巻に収められたエピソード。「来訪者」何年か前、パリでのできごとです。

 男を欲情させる匂いを発明したいというベルギーの化学者アンリ・ビオットの援助をするオズワルド。見事、実験は成功しますが、心臓の弱いビオットは腹上死してしまいます。
「ビッチ」と名づけられたその香水を手に入れたオズワルドはアメリカに渡り、テレビ出演する大統領のインタビュアーの女性にふりかけようと画策します。

 まあ、間違いなくこうなるだろうなという展開が待っています。
 それにしてもビッチは、男性を盛りのついた雄犬のようにするだけで、女性には効果がないはずなのですが、襲われた女性が皆、満足そうなのはどうしてなんでしょう。

 ちなみに、この短編が発表されたとき、米国の大統領はリチャード・ニクソンでした。

オズワルド叔父さん』My Uncle Oswald
 第二十巻、一九三八年の日記ですが、内容は「若い頃、どうやって富を築いたか」なので、一九一ニ年、オズワルドが十七歳の頃のエピソードから始まります。

 スーダンにいる甲虫ブリスター・ビートル(学名:カンタリス・ヴェシカトリア・スーダニー)から回春薬を作ったオズワルドは、パリで金持ちたちにその薬を売り、一財産築きます。その後、ケンブリッジ大学に入学しますが、第一次世界大戦が勃発したため、陸軍に入隊します。オズワルドが復学したのは二十三歳のときでした。
 ケンブリッジでの化学のチューターはウォレスリーという老人で、彼は精子を凍結し、長期保存する方法を発明します。それに目をつけたオズワルドは、二十世紀初頭に活躍している天才たち(アインシュタインピカソプルーストフロイトら)や各国の国王の精子と本ものであることを証明する自署を入手し、裕福な婦人に売るという商売を考え出します。

 前半の回春薬(男女がセックスのことしか考えられなくなる)が、後半の精子入手に役立つという仕組みになっています。
 勿論、欲情させるには女性が必要ですから、ヤズミンというペルシャ人とのハーフである絶世の美女が登場します。オズワルドは、あっさりと彼女を落としますが、ポリシーを守り、一度交渉を持った後はビジネス上の関係のみになるのが潔い。
 さて、化学者、美女、有名人と役者が揃ったところで、エロティックなドタバタ喜劇が本格的にスタートします。

 それにしても、優秀な人の精子を手に入れたいという話はよく聞きます。しかし、彼らの子どもたちが親を超えるケースは余り多くない気がします。女性の方も、男性の遺伝子ばかり気にして、自分はすっかり棚に上げてしまうのがおかしいですね。
 また、子どもをアインシュタインにしたいなら、アインシュタイン精子ではなく、アインシュタインの父親の精子を入手しろ、なんて笑い話も出てきます。
 いずれにせよ、天才が誕生するには遺伝以外に環境や時代、運などの要素もあるでしょうが、スラップスティックとしては全員が同じ方向を向いた方が楽しくなります。

 実在の人物を色仕掛けと回春薬によって誑かすわけですけれど、英国をはじめとするヨーロッパの君主までターゲットにするのが凄い。何しろパブロ・ピカソに強姦されたり、ジョージ・バーナード・ショーが全裸で追いかけてきたりするのですから、平凡な笑いの域を軽々と通り越しています。
 オズワルドの回想なので執筆時はひとり残らず故人だったとはいえ、現代だったらこういう話はもう書けないんじゃないでしょうか(バリー・N・マルツバーグの『スクリーン』はもっと凄い)。

 決して貶しているのではなく、だからこそ価値があると思うのです。
 色々と堅苦しい世のなかになったと感じている方は、一切忖度しない、やりたい放題の馬鹿話を読むと溜飲が下がるかも知れません。

 精子を入手するのはヤズミンの役目で、密室でのできごとのため、オズワルドは聞き書きに徹しなければいけません(何が起こったか一切話してくれないこともある)。また「有名人の家を訪ねて、サインをもらって、薬入りのチョコレートを食べさせて欲情させ、精液を採取する」という同じパターンが続きます(同性愛者のマルセル・プルースト、誤ってヤズミンが薬を服用してしまうなど変化もつけられている)。
 小説としてはそのような弱点があるものの、途中で読むのをやめてはいけません。馬鹿騒ぎの後にあっと驚く結末が待っていますので……。

 勿論、それが何かは書きませんが、「いかにして金持ちになったか」「現在、フランスではマルセル・プルーストを父親に持つ子供が十四人も遊びまわっているのだ」といった記述が見事な引っかけになっています。
 ダールは、長編においても「外さない」コツを心得ているのです。

※:ダールについては昔から不思議に思っていたことがある。それは『飛行士たちの話』に「あなたに似た人」という短編が収められていて、次の短編集『あなたに似た人』には表題作が収録されていないこと(原書も訳本も同様)。二冊目の短編集を刊行するに当たって、よい書名が思いつかなかったから、処女短編集のなかから選んだのだろうか。取り立てて素晴らしいタイトルではないと思うのだが……。おかしなこともあるものである。

『オズワルド叔父さん』田村隆一訳、ハヤカワ文庫、一九九一
『来訪者』永井淳訳、ハヤカワ文庫、一九八九