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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ヴィーナス氏』ラシルド

フランス

Monsieur Vénus(1884)Rachilde

 ラシルド(本名マルグリット・ヴァレット・エームリ)は、アルフレッド・ジャリ唯一の女友だちで、『超男性ジャリ』という評伝も翻訳されているせいか、日本ではジャリとの関連で語られることが多いようです。
 まずは、この本を参考に、ラシルドとジャリの関係について簡単に述べてみます。

 ジャリがゲイだったどうかは分かりませんけど、女嫌いは事実であるらしく、親しかった女性はラシルドのみでした(ラシルドが、ジャリとベルト・ド・クリエールをくっつけようとしたら、滅茶苦茶怒ったというエピソードが出てくる)。ジャリは小男で、婦人用のブラウスや靴を身につけたりしたものの、女装癖があったわけではありません。
 一方、ラシルドは男児を望んでいた父親によって、男の子のように育てられました。二十歳頃、パリに出てきた彼女はジョルジュ・サンドのように男装してボヘミアン生活を送りました。『ヴィーナス氏』を読んだジャリは、ラシルドに会った後も「これが女に書けるわけがない。きっと、男に書かせたものに違いない」といい続けていたそうです。

 ふたりが親しくつき合ったのは文学者として尊敬し合っていたこともあるでしょうが、気質的に似ていたこともあるのかも知れません。
 ただし、酒に溺れ野垂れ死にしたジャリと異なり、ブルジョワのラシルドは良識人で、「メルキュール・ド・フランス」の創設者アルフレッド・ヴァレットと結婚し、子どもも儲けています。ラシルドとヴァレットはまるで親のように、ジャリの面倒を見続けたそうです(※)。

 さて、ラシルド自身もれっきとした閨秀作家で、数多くの著作があります。なかでも特に有名なのは『ヴィーナス氏』です。
 この小説が書かれたのはジャリと知り合う前ですが、ふたりの関係を彷彿とさせる部分があるのが面白いところです。

『ヴィーナス氏』は出版後、倒錯的だとして非難の嵐に見舞われ、発禁処分となりました。ジャリの『ユビュ王』もスキャンダルを巻き起こしたものの、裁判にまではなりませんでした。その点、『ヴィーナス氏』はブリッセルの裁判所で禁錮二年、罰金二千フランの受けたそうですから、世紀末のパリにおいてさえ強烈なインパクトをもたらしたと思えます。
 尤も現代であれば、倒錯どころかジェンダーフリーの先駆として評価されるでしょう。

 両親を亡くし、伯母と暮す令嬢ラウール・ド・ヴェネランドは、ジャック・シルベールという美形の画家を見初め、パトロンになります。
 貴族の令嬢の束の間の戯れと思いきや、ラウールは男性として、女の魂を持つジャックを本気で愛してしまい、彼と結婚しようとします。
 平民との結婚を打ち明けられた伯母はショックで修道院に入ってしまいます。が、彼女が本当に許せなかったのは、身分の違いではなく、ラウールとジャックの悪魔的な性のあり方でした。

 この小説は、官能を目的とした男女の役割の入れ替えの物語ではありません。勿論、男と女を単純に逆にしたらどうなるかといった試みをしているのでもない。
 異性の魂を持った男女が、生物学的・社会的な性との不一致に苦しみ、いかに相手を愛するかが物語られているのです。いわば、性同一性障害同士の恋愛小説といえるかも知れません。

 ラウールとジャックの本質は他人には知られていない上、彼らの間には身分の差という大きな問題が横たわっています。そのため、最初のうちは素直に愛を表現することができません。
 それが複雑な屈折を生み、「金持ちのお遊び」「美青年を自分好みに調教している」「性的倒錯者」「根っからの娼夫」「財産目当て」といった様々な見方をされてしまいます。
 しかし、ラウールとジャックの恋愛は極めて純粋なのです。

 紆余曲折あった後、唯一無二の相手と結ばれたふたりは、彼らに対して憎しみを募らせている社会から逃げ出すことなく、愛し合っていることをみせつけようとします。
 それが彼らの戦いでしたが、世間は無視という形で応えます。ラウールは社交界から締め出され、友人も訪ねてこなくなってしまうのです。
 十九世紀末ですから、性的マイノリティに対するあからさまな差別は十分頷けます。

 それより悲劇的なのは、ジャックが生まれついての娼夫だったことでしょう。
 ファムファタールといわれるマノン・レスコーが実は極めて純真なのに対して、ジャックは男も女も惑わすケバケバしい毒の花です。愛を受けることによって彼の本性は見事に花開いてゆきます。
 が、同時にそれは自滅への道でした。三角関係のもつれから生じた決闘で、ジャックは儚くなってしまうのです。

 ……と、ここで終わっていれば、ある意味、よくある破滅型の恋愛小説で済んだかも知れません。『ヴィーナス氏』が倒錯的といわれる所以は、ごく短いラストの第十六章にあるのではないでしょうか。
 ネタバレになるので具体的には書きませんが、ジャックを失ったラウールは、ある奇妙な愛に耽ってゆきます。
 これこそが、この小説の二年後に発表されるオーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』(一八八六)を予感させる、怪しく美しい名場面だと思います。

※:『ヴィーナス氏』の翻訳は、高橋たか子と弟子の鈴木晶である。このふたりは年齢が二十歳離れており(ラシルドとジャリは十三歳違い)、鎌倉で同居していた(鈴木は妻子とともに)。こちらも興味深い。

『ヴィーナス氏』高橋たか子鈴木晶訳、人文書院、一九八〇