読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『八時四七分の列車』ジョルジュ・クールトリーヌ

Le Train de 8 heures 47(1888)Georges Courteline

 ジョルジュ・クールトリーヌは、カミと並び、フランスのユーモア小説の巨匠といわれています。
 いや、「巨匠」というと偉そうですね。庶民に愛された代表的な大衆作家というべきでしょうか。
 日本では単著がなく、古い文学全集や戯曲全集に小説や戯曲が収められています(「世界大ロマン全集」21巻、「近代劇全集」17巻、「世界戯曲全集」35巻など)。

「世界大衆小説全集」(写真)の月報には「親(※)ゆずりの財産で暮せる身分で、『私は四十五歳位になるまでは物を書くつもりはない』などと云っていられるのであった」とあり、解説には「『私は、四十以後は働かないことを、以前から、決心していた』そういって、彼は、死の直前まで、三十年間を、旧作の手入れをする以外に、筆をとらなかった」とあります。
 事実か否か分かりませんが(両方とも本当だったら、一切働いてないことになる!)、いずれにしても、その名声とは裏腹に、怠け者気質の人だったようです(作家になる前も職業を転々としている)。
 文学的情熱に欠けることを批難しているわけではなく、共感するとともに、羨ましくて仕方ないわけですが……。

 さて、『陽気な騎兵隊』(1886)と並んでクールトリーヌの代表作とされるのが『八時四七分の列車』です。両者とも軍隊生活を扱った長編小説で、ごく初期に書かれた点も共通しています。
 あらすじは、以下のとおり。

 おしゃれな伍長ラ・ギヨメットは一等兵のクロクボルを従え、厩舎へ馬を四頭取りにゆくことになります。
 勿論、ただいって帰ってくるのでは面白くありませんから、色々とよからぬことを企むのですが、列車の乗り継ぎを間違えたことによって、計画に狂いが生じてしまいます。
 大雨の真夜中、娼家を求め、見知らぬ街をうろつくふたり。けれども、様々なトラブルに見舞われ、なかなか目的を達せられません……。

 第一部は、特殊な集団や地域を扱うユーモア小説の常として、ユニークな人物をたっぷり登場させます。
 理由もなく営倉送りを繰り返すため連隊中に嫌われている曹長、荒っぽいけど、善良な飲んだくれの中隊長、喧嘩っ早い兵隊たち……。
 ちょっと乱暴だけど、それぞれ個性があり、さらに基本的には善人(ないしは間抜け)ばかりなので、気持ちよく読み進められます。

 第二部は、フレドリック・ブラウンの『不思議な国の殺人』、マーティン・スコセッチ監督の映画『アフター・アワーズ』のように一夜の奇妙なできごとを描いているのですが、曖昧屋を訪れたいという執念が半端なく、それが途轍もなくおかしい。
 例えば、出張で初めての街を訪れ、用事を済ませた後、下調べしておいた古本屋を探すけど、どうしてもみつからない。帰りの電車の時間が迫っている。諦めるか? とことん探すか?……なんて経験をしたことがある人なら、ラ・ギヨメットたちの気持ちが理解できるのではないでしょうか。
 おまけに、彼らは抑圧された軍隊生活を営んでいますから、女(酒や食いものにも)に対して異常な執着をみせるのが不自然ではないし、惨めさを伴うことで、さらに大きな笑いにつなげるところは、きちんと定石を踏んでいます。

 第三部は、ふたりの一夜の冒険が、部隊の司令官、大司教、フランス中の新聞、果ては政府までをも巻き込んだ大騒動に発展します(ついには内閣が総辞職する)。
 こうしたドタバタのエスカレートの仕方は、とても楽しい。作者が明らかに悪乗りしているのが分かるので、なお面白いです。
 ラストでは、悪役の曹長が懲らしめられ、一方、ラ・ギヨメットたちの散々なできごとが自慢話に化け、溜飲が下がります。

 設定も展開もオーソドックスで、よい意味でも悪い意味でも期待を裏切りません。爆笑とまではいきませんが、笑いのツボをしっかりと抑えた古典的名作です。
 どぎついシーンもなく、また、のどかな時代背景のお陰もあって、安心して楽しめますから、気分が落ち込んだときなどにもお勧めです。

※:父親は、ジュール・モワノーという作家で、『笑いの錬金術 ―フランス・ユーモア文学傑作選』というアンソロジーに「クラリネットの脅迫」という短編(というかコントのシナリオみたいなもの)が掲載されている。

『八時四七分の列車』世界大衆小説全集8、獅子文六、安堂信也訳、小山書店、一九五五

→『マダムは子供が嫌いとおっしゃる』クレマン・ヴォーテル
→『でぶの悩み』アンリ・ベロー

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