読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『氷のスフィンクス』ジュール・ヴェルヌ

Le Sphinx des Glaces(1897)Jules Verne

 以前、『ロビンソン・クルーソー』や『ドン・キホーテ』のパロディや続編をいくつか取り上げて感想を書きましたが、その第三弾として、エドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語(The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket)』(一八三七)を選んでみました。

『ピム』は、ポー唯一の長編小説で、海洋冒険、乗員の叛乱や原住民との戦いを描いたアクション、カニバリズム、SF(地球空洞説)、暗号解読ミステリー、ホラーなど様々な読み方ができる傑作です。
 一方で、色々な要素をいき当たりばったりに詰め込んでおり、しかも、雑誌連載が打ち切られた影響もあるのか、まとまりに欠ける面もあります。そのため、今に至るまで評価は真っ二つに割れています。
 勿論、僕は肯定派です。完璧な作品ではありませんが、素材のよさは天下一品で、何より想像力を働かせる余地がたっぷり残されているところに魅力を感じるのです。
 どういう話かというと……。

 友人の手引きで、友人の父が船長をしている船に密航するアーサー・ゴードン・ピム。しかし、その船は船員たちが暴動を起こし、挙げ句の果ては嵐に巻き込まれ、生存者四人を残し大西洋を漂流してしまいます。
 彼らは、くじで負けた者を殺して食うなどして生き延び(※1)、やがて、生き残ったピムとダーク・ピーターズはイギリス船ジェイン・ガイ号(ウィリアム・ガイ船長)に救助されます。その後、ジェイン・ガイ号は南極へと向かいます。
 ピムたちは南氷洋ツァラル島で原住民たちと仲よくなりますが、それは大きな罠でした。油断した船員たちは、ピムとピーターズを除いて全員が殺されてしまいます。
 カヌーを奪ってツァラル島を脱出したピムとピーターズは、原住民が「テケリ・リ」と叫ぶ白い動物を目撃し、そして、突如現れた巨大な瀑布に正に落ちんとするとき、謎の白い人影をみつけます。そこで、物語は唐突に終わります……。

『ピム』をモチーフにしたり、そこから影響を受けたりした小説は数多く、古くはハーマン・ メルヴィルの『白鯨』や『幽霊船(ベニト・セレノ)』、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』、ヘンリー・ライダー・ハガードの『ソロモン王の洞窟』から、最近ではマット・ジョンソンの『Pym』(邦訳を強く望む!)まで多岐に亘ります(※2)。

 一方で、デタラメなプロット、解決されない多くの謎、放り出したような中途半端な終わり方のせいで、『ピム』の非公認(?)の続編も多数生まれました。チャールズ・ロウミン・デイクの『A Strange Discovery』や、ドミニク・アンドレの『La Conquête de l'Eternel』などが代表的なところでしょうか。

 SFの祖であるジュール・ヴェルヌもそのひとりです。インスピレーションを受けた作品が『地底旅行』(一八六四)なら、直接の続編といえるのが今回取り上げる『氷のスフィンクス』です。
 実をいうと『ピム』はアメリカでの評価こそ低かったものの、フランスでは大変好意的に受け入れられました。そのせいもあって、ポーの信奉者であるヴェルヌは、オマージュを捧げたのかも知れません。
 以下、『氷のスフィンクス』のあらすじです。

 ピムが行方不明になって十一年が経ちました。ケルゲレン諸島で、英国船ハルブレイン号に乗せてもらうことになった博物学者のジョーリングは、船長のレン・ガイから驚くべき話を聞きます。
 ピムの手記はフィクションではなく、彼らは実在の人物でした。なぜなら、レン・ガイ船長は、ツァラル島で殺されたウィリアム・ガイ船長の弟だからです。船長は、兄が死んだことを信じておらず、未だに捜し続けているのです。
 フォークランド諸島で船員を補充し、一行はピムの足取りを辿り、南極海を進んでゆきます。しかし、兄たちはみつからず、ハルブレイン号は氷山に乗り上げ沈没してしまいます。唯一残されたボートは、船員の裏切りで奪われてしまいます。
 果たしてジョーリングたちは、『ピム』の生き残りと出会い、無事に帰還できるのでしょうか。

 まず、基礎知識として押さえておかなければならないことが、いくつかあります。
 ひとつは、ロアール・アムンセンによる南極点到達は一九一一年で、『ピム』が書かれたときは勿論、『氷のスフィンクス』執筆時でさえ、南極の内陸部(ツァラル島があるのもそこ)は未知の世界だったこと(※3)。
 もうひとつは、ポーの時代のアメリカでは、地球空洞説はポピュラーな疑似科学(そもそも科学と疑似科学の境界は極めて曖昧だった)であったことです。
 そのため、地球の両極に巨大な穴が空いていると信じる人が多くいました。現代人は「ピムは、一体どうやってアメリカに帰ってきたんだろう」と首を傾げてしまいますが、当時の読者にとっては不思議でも何でもなかったとも考えられます。つまり、「瀑布から地球内部を通って、アメリカに戻ったんだな」と、素直に納得したかも知れないのです。

 ヴェルヌが、解決策として「地球空洞説」を採用しなかったのは、既刊である『地底旅行』との重複を避ける意味合いもあったと思います。
 しかし、十九世紀においては地球空洞説に意外性がなかったことも理由のひとつだったのではないでしょうか。最初から地底探検をテーマにするなら構いませんが、謎の答えとして地球空洞説を持ち出したとしても、誰も驚かなかった可能性は大いにあります(地球空洞説については、ルーディ・ラッカーの『空洞地球』の感想文で詳しく述べる)。

 その代わりとして、ヴェルヌが注目したのは「瀑布のなかの白い人影は何か?」でした。
 ヴェルヌは、荒唐無稽な冒険小説に、当時としては最先端の科学知識を持ち込んだ作家で、それ故、SFの祖と呼ばれるわけです。つまり、上記の謎を、可能な限り科学的に解釈しようとしたのが『氷のスフィンクス』というわけです。

 結論からいうと、ピムが引き寄せられたのは「スフィンクスの形をした巨大な磁石の山」だったというオチは、正直、ピンときませんでした。瀑布の説明にもなっていないし、スフィンクスに意味はないし(※4)、ピムも可哀想……。大体「スフィンクスに似た磁石の山」なんて、いかにも子ども騙しという感じがするじゃありませんか。
 そのあからさまな幼稚さもあって、この作品はメジャーになれなかったような気がします。
 まあ、数多くのSF・冒険小説を執筆し、独創的なアイディアを捻り出してきたヴェルヌだけに、さすがにネタ切れだったのかも知れませんが……。

 SF的解釈には感心できないとしても、海洋冒険小説としては、きっちりツボを押さえており、さすがという仕上がりになっています。
 大いなる目的を持った船長、寡黙だが一流の腕を持つ航海士、陽気で人のよい甲板長、アザラシ漁の達人、謎の乗組員など魅力的なキャラクターが活躍するところは『白鯨』や『ワンピース』にも劣りません。
 それぞれの思惑が交差し、新旧乗組員の対立に発展したり、水夫の意外な正体が明かされたり、果ては氷山に閉じ込められ、船やボートを失ったりと、ハラハラする展開が続きます。

 勿論、「ピムは果たして生きているのか?」という興味に引っ張られるので、最後まで飽きずに読み進められるでしょう。
 放置される謎もありますが、僕が一番面白かったのは「『ピム』で、籤で負けて仲間に食われたリチャード・パーカーは、遺族のことを考えたピムが用いた偽名で、その弟がハルブレイン号に乗っている」という箇所でした。
『ピム』のファンなら、それだけで読む価値はあると思います。

 なお、『氷のスフィンクス』はいくつか翻訳が出ています。なかでも、集英社文庫ジュール・ヴェルヌ・コレクション(全十一作品十三巻。新装版が出た作品は、イラストレーターが変わっているので注意)が安いし、メビウスの挿画が格好いいのでお勧めです(ただし、解説は、がっつりネタバレしてるので、絶対に先に読んではいけない!)。
 この叢書は表紙を並べると、とても綺麗なのですが、僕は全巻揃えていません。古書だと帯なしや状態のよくないものも混じってしまうので、コンプするかどうか、未だに悩んでいます。将来、セット売り専門のネット古書店を開業するなら、コンプは必須なんですが……(詳しくは「ネット古書店開業の夢」参照)。

※1:一八一九年に起きた実在の事件がモデルになっていると思われる。詳しくはナサニエル・フィルブルックの『復讐する海 ―捕鯨船エセックス号の悲劇』を参照のこと。

※2:『ピム』が雑誌「サザンリテラリーメッセンジャー」に掲載された際は、作者としてポーの名前が用いられたが、単行本になったとき、ポーの名は消え、代わりに真の作者であるピムの署名が加わった。雑誌掲載時にポーの名を使ったのは、この実話を信じる人がいないのを恐れ、小説として発表したからだそうだ。しかし、巻末の「ノート」では、ポーでもピムでもない謎の人物が突如語り始める。これも『ピム』の大いなる謎のひとつである。
 なお、『ピム』の語りの複雑な階層については、ウンベルト・エーコの『小説の森散策』に詳しい。

※3:『海底二万里』(一八七〇)では、ノーチラス号が一八六八年に南極点に到達している。ただし、『氷のスフィンクス』の作中年は一八三九〜四〇年。

※4:ポーは「スフィンクス」という短編を書いているが、これは蛾の話なので、特に関係はなさそう〔蛾にはスフィンクス属(genus Sphinx)というのがある〕。


『氷のスフィンクスジュール・ヴェルヌ・コレクション、古田幸男訳、集英社文庫、一九九四

『ピム』関連
→『狂気の山脈にて』H・P・ラヴクラフト
→『空洞地球ルーディ・ラッカー