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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『エッフェル塔の潜水夫』ピエール・アンリ・カミ

Le Scaphandrier de la Tour Eiffel(1929)Pierre Henri Cami

 フランスのユーモア作家ピエール・アンリ・カミは、日本では主に「名探偵ルーフォック・オルメス」「機械探偵クリク・ロボット」などのシリーズものが訳されています。
 彼は、ジェイムズ・サーバースワヴォーミル・ムロージェックジョヴァンニ・グァレスキカート・ヴォネガットローラン・トポールらと同様、挿絵も自分で描きます(※1)。

エッフェル塔の潜水夫』が初めて邦訳されたのは一九四〇年(昭和一五年)の白水社で、以後、小山書店、講談社、筑摩書房と、何度も再刊されました(訳者は、いずれも吉村正一郎)。僕は、小山書店の「世界大衆小説全集」と、ちくま文庫版を持っていますが、本文は勿論、「訳者あとがき」まで同じです。
 それなのに、なぜ二種類買ったかというと、「世界大衆小説全集」の方は、併録されているピエール・ブノアの『アトランティード』(※2)を読みたかったのと、価格が格安だったから。

 さて、まずはあらすじです。

 エッフェル塔の目の前、セーヌ川にかかるイエナ橋の近くで、英国人の若者が身投げをしました。潜水夫が川に潜り死体を引き上げましたが、ちょっと目を離した隙に、死体は再び川に落ちてしまいます。そして、その死体は、別の潜水夫に連れられ、川底を歩いて消えていきました。
 その後も、奇妙な事件が次々に起こります。溺死した潜水夫がエッフェル塔で首を吊られていたり、コンコルド広場に幽霊船が現れたり、若い女性が真夜中にパラソルを差して歩いていたり……。
 それらは、幽霊の仕業なのでしょうか。それとも……。

 カミはナンセンスな笑いを得意とする作家ですが、長編小説に関しては、構造が意外としっかりしており、辻褄の合わない荒唐無稽さとは無縁です。
 例えば、『機械探偵クリク・ロボット』にしても、四角い頭のロボット探偵(っていうか、歩く計算機で、実際に謎を解くのはロボットを作った博士)が登場することを除けば、驚くほどまともな推理小説です(もう少しデタラメでもよいと思えるくらい)。

 その点は『エッフェル塔の潜水夫』も同様です。
 登場人物はやたらと多く、人間関係は複雑で、しかも、まともに考えたら絶対に不可能な犯罪が次々に起こるにもかかわらず、カミは綺麗に整理し、収拾をつけているのです。
 これは、ユーモア作家というより、ミステリー作家の仕事といえるのではないでしょうか。

 その辺をもう少し具体的に述べてみます。
 まず、基礎となるモチーフは、幽霊船(フライングダッチマン)の伝説です。カミは、この不気味な幽霊船を、お洒落なパリの街に登場させます。
 不釣り合いな要素を組み合わせることによって読者の興味を引くとともに、「あらゆることをオカルトで解決させるのか?」と誤解させる効果を狙ったと思えます。

 なお、魅惑的な謎の提示という意味では、ほかにもミスマッチが沢山用意されています。
 セーヌ川の川底とエッフェル塔の屋上、真夜中のパラソル、鉄道王と飛行機乗りなど、正反対のものを並べられると、それらがどう結びつくのか、大いに気になるのが人の常でしょう。

 さらに、幽霊船に詳しい大学教授、インチキ霊媒師、海底に沈んだ財宝を狙う富豪、そして幽霊船の船長(さまよえるオランダ人)などを登場させることで、超常現象の匂いを存分に漂わせます。針は、非科学の方へと激しく振れるようにみえるのです。

 勿論、それらはミステリーの常套手段です。
 非現実的な謎や怪奇現象が、論理的・科学的に解明されるのは、本格推理小説の醍醐味のひとつといってもよいからです。

エッフェル塔の潜水夫』も、最後には、すべての謎が解かれるのですが、「エッフェル塔の構造についての説明が事前にないこと」と「解決に疑似科学を用いたこと」が、厳しいミステリーファンの目からみると許せないかも知れません。
 しかし、「地上三百メートルのエッフェル塔に、潜水夫の姿で上らなければならなかった理由」「真夜中に日傘を差した夫人が現れた理由」などは、思わず小膝を打つこと請け合いです。
 僕は、推理しながら読むタイプではないので、これだけで十分に満足できました。

 一方で、ミステリーやサスペンスにつきものの「恐怖」や「不安」は希薄です。幽霊が出て、何人も殺されるのに、余りハラハラしません。
 その代わりに何があるかというと……、カミの小説なんですから「ユーモア」に決まってるじゃありませんか(要するに、ユーモアミステリーの元祖なのかも。だから、解説を赤川次郎が書いている)。

 カミの面白さは、おかしな登場人物に負うところが大きいと僕は思います。それも、ギャグやスラップスティックで大笑いさせるわけではなく、いわゆる「とぼけた味わい」で微笑みを誘うのです。
エッフェル塔の潜水夫』でも、エッフェル塔に勤める孤児の青年、痩せるためにエッフェル塔を昇降している男、洗濯船の元船長とオウム、天才発明家など奇々怪々なキャラクターが登場し、作品を彩ります。
 陰惨な事件が続くのに、のんびりと読書を楽しめるのは、呑気な彼らのお陰にほかなりません。

 だから、この小説で一番好きなシーンは、登場人物(善玉)が一堂に会するエピローグです。
 尤も、皆が幸せな分、キャプテン・ジャック(オウム)の不在が、余計に悲しいのですけれど……。

※1:ただし、ちくま文庫版『エッフェル塔の潜水夫』の挿絵は、真鍋博

※2:これも『さばく都市』『砂漠の女王』などのタイトルで複数の邦訳がある。


エッフェル塔の潜水夫』吉村正一郎訳、ちくま文庫、一九九〇

→『名探偵オルメスピエール・アンリ・カミ