読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ジュリアとバズーカ』アンナ・カヴァン

Julia and the Bazooka(1970)Anna Kavan

 このブログへは、ほとんどの方が書名や作者名を検索して辿り着かれるようです。ですから、誰も興味を持たないような本や作者、ありふれた普通名詞のタイトル(『』とか『台風の目』とか)だったりすると、アクセス数は極端に下がります。
 これまで「ほかのサイトで余り扱われてない本」の感想を書くよう心がけていましたが、人に読まれなくては意味がない……ということで今回は、最近、再注目されているアンナ・カヴァンを取り上げてみます。さらに『氷』じゃ検索されにくいし、『愛の渇き』だと三島由紀夫が引っ掛かってしまうので、『ジュリアとバズーカ』(写真)で……(サンリオSF文庫が続くが、これもよく検索されるし、すべて絶版なので当ブログの趣旨にピッタリで選びやすい)。

 前回のディキンスンと同じく、カヴァンもサンリオから三冊の本が出版されました。
 勿論、当時は聞いたことのない作家でしたが、一瞬で心を捕らえられました。しかし、それとともに激しい違和感を覚えたのを記憶しています。サンリオSF文庫には、SF作家とはとても呼べないようなナボコフバーセルミカルペンティエルらがラインナップされていましたから、取り立てて驚く必要はないはずです。にもかかわらず、彼女の小説は、一際異質に感じたのです(SF=speculative fictionだとしても)。
 実をいうと外観だけみれば、さほど場違いではありません。特に『氷』は、核兵器の使用によって氷に閉ざされてゆく地球というSF的な設定ですし、ブライアン・W・オールディスに絶賛され、『十億年の宴』でも取り上げられました。しかも、カヴァンの死後出版された版では、彼がイントロダクションまで書いているのです。

 それは理解しつつ、どうしても、しっくりきませんでした……。
 言葉は悪いのですが、白い繭に包まれた無垢な作品に、打算的な大人たちが寄って集って、無理矢理SFの衣を着せてしまったとでもいいましょうか(※)。
 僕としては、カヴァンはどこにも分類されない作家であって欲しいし、実際、そうであると思っています。
 読者は、彼女がみたもの(幻覚や夢を含めて)を、文字という記号を介して受け取る。そして、それに勝手な解釈をつけ加えず、ありのままの姿で味わうことが大切ではないでしょうか。

 済みません。つい先走ってしまいました……。
 アンナ・カヴァンに改名後、初の著作である『アサイラム・ピース』(1940)は、サンリオで刊行が予告されていたものの、結局、実現しませんでした(一部は既訳だった)。一生読めないだろうと半ば諦めていたところ、最近になって国書刊行会より翻訳出版されたのです。
 二十五年待った甲斐のある素晴らしい短編集で、今年のベストが早くも決まったような気がします(特に「上の世界へ」「召喚」「アサイラム・ピース」がよかった。ただし、装幀は最悪……)。こうなったら『Sleep Has His House(a.k.a. The House of Sleep)』も翻訳して欲しい。何年でも待ちますので、ぜひよろしくお願いします。

 さて、『アサイラム・ピース』は、ひたすら己をみつめ、掘り下げていったという印象があります。同じ短編集でも『ジュリアとバズーカ』の方は、他者(特に恋人)の存在に戸惑いつつ、彼らとの関係のなかで自らの位置を必死に見出そうとしているように思えます。『アサイラム・ピース』に魂を揺さぶられた方は、こちらにも手を伸ばして欲しいと思います。

 日本にも、カヴァンのような作風(幻想的な私小説?)の純文学の閨秀作家が沢山います。なかには「上手いなあ」と唸らされるような人だっている。
 にもかかわらず、カヴァンほどは心魅かれません。どうも作られた闇、紛いもののイメージという気がして仕様がないのです。

 それに引き換えカヴァンが本物なのは、彼女が精神を病んでいた、あるいはヘロイン中毒者だったからというわけではありません。メンヘラの日常をそのまま描いたって、文学にはなり得ないからです。読者の心を打つには、少なくとも同じ地平におりてきてもらわないといけない。
 あっちへいってしまった自分を、客観的にみつめる自分。その絶妙なバランスを保っているのがカヴァンの凄さだと思います。
 勿論、彼女が一流の感性や表現力を備えていることも大きいでしょう。それがあるからこそ、粗悪なコピーには真似のできない独特の世界を作り出すことに成功しているのです。

 とはいえ、『ジュリアとバズーカ』に収められた短編は、決して気持ちのよいものではありません。カヴァンの潔癖さ、激しい躁と鬱、歪んだ自意識、仮想の敵に向ける攻撃性、身を守るために作り上げた堅固な殻は、ときに鬱陶しく、いや、そんな生易しいものではなく、永遠に続く悪夢のなかに放り込まれたかのような恐怖を感じさせることさえあります。
 だからといって、精神分析の真似事をすべきではないと思います。大切なのは、豹、レーサー、ジャングル、星、裁判官、オブローモフ(イワン・ゴンチャロフの小説の主人公)などに解釈を与えることではなく、創造主カヴァンの手による世界をそのまま味わうことなのですから。
 やがて、あらゆるものが白い雪によって覆い隠され、この世から消え去ってゆきます。その場に立ち会うのは残酷と思いつつ、激しく心が震えます。

 さっきから同じところをぐるぐる回りつつ、抽象的な話に終始していますけど、正直、カヴァンの小説は、読んでみてもらうしかありません。っていうか、今回は、その一言で十分だったような気がしますね……。

追記:二〇一三年四月、文遊社から復刊されました。

※:『氷』に、こんな一節がある。
「その姿はサイエンス・フィクションに登場するミュータントを想起させた」
 彼女にとってSFとは、この程度の認識だったのであろう。


『ジュリアとバズーカ』千葉薫訳、サンリオSF文庫、一九八一

サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロンゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中
→『サンディエゴ・ライトフット・スートム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『ジョン・コリア奇談集』ジョン・コリア
→『コスミック・レイプシオドア・スタージョン
→『この世の王国』アレホ・カルペンティエル
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン
→『ドロシアの虎』キット・リード

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