読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ジョン・バーリコーン』ジャック・ロンドン

John Barleycorn(1913)Jack London

 ジャック・ロンドンは、何といっても『野性の呼び声(荒野の呼び声)』と『白い牙』の二作が有名なので、彼をよく知らない人はアーネスト・トンプソン・シートン(※1)のような作家だと思っているかも知れません。
 しかし、ロンドンは、『どん底の人々』のようなルポルタージュや、『ジャック・ロンドン放浪記』のような自伝的小説でも高い評価を得ています。『ジョン・バーリコーン』(写真)も後者に属する作品で、自らの半生を酒とからめて語っています。
 そもそも彼はアカデミズムの人間ではなく、貧乏のどん底から苦労して這い上がった作家です。そのため、自伝も非常に読み応えがあるのです。

 ただし、飲酒にまつわる大失敗が描かれるわけでも、蘊蓄やアフォリズムに満ちているわけでも、アル中の弁明でもありません(最後は哲学的になるが……)。
 いわば「自分はなぜ酒を飲むのか」を繰り返し述べているだけなのですが、それだけで十分面白い文学になっているところは、さすがといわざるを得ません。

 また、ロンドンがこれを書いた時点の米国では、禁酒法も施行されておらず、女性も参政権を獲得していませんでした〔いずれも一九二〇年に実現した(それ以前に制定されている州もあったが)〕。そのため、冒頭に「選挙権の修正案に賛成の票を投じた。なぜなら、女性が参政権を得れば、禁酒法が成立して、俺も酒を飲まずに済む」なんて話が出てきて、とても興味深い(「アルコールの害をいくら説いたって無駄である。酒をやめさせるには、物理的に遠ざけるしかない」というのがロンドンの主張)。
 ロンドンは一九一六年に自殺していますが、ひょっとすると、この本が禁酒法可決に影響を与えた可能性があるかも知れませんね。

 ちなみに「ジョン・バーリコーン」とは英国の民謡で、酒を擬人化したものです(Barleycornは、アルコールの原料である大麦のこと)(※2)。
 この本では、タイトルは勿論、作中でもアルコールのことを徹底してジョン・バーリコーンと呼んでいます。切っても切れない友に対する親しみを込めた呼称なのでしょう。

 ロンドンが初めて酒を飲んだのは五歳の頃でした。七歳のとき、半ば無理矢理ワインを飲まされ、ぶっ倒れ、アルコールに対する嫌悪感を抱いたものの、家庭が貧しく、若くして肉体労働に従事しなければならなかったため、周囲には常に酒が存在していました。
 缶詰工場、牡蠣泥棒、アザラシ狩り、黄麻工場、発電所などの職を転々としながら、彼は勉学にも励みました。やがて、作家として成功するのですが、それが本格的な酒飲みへの道の始まりでした。

 ロンドンは、大きく分けて二通りの人生を歩んだといえます。
 ひとつは、常に酒につきまとわれる生活。貧しさ故、様々な職に就いたロンドンですが、例えば、一人前の海の男として認めてもらうためには、酒場での奢ったり奢られたりというつき合いが不可欠でした。貧しい労働者にとって、アルコールは辛い現実を片時の間、忘れさせてくれる優しい恋人なのです。

 ところが、若きロンドンは「酒なんてまずいし、頭にも心臓にも負担が掛かる。その上、金も掛かるから、本当は飲みたくない」と考えます。
 実際、小笠原諸島へ向かう船中や、勉強や執筆に集中している期間は、アルコールを一滴も摂取していません。勤勉な勉強家、これがロンドンのもうひとつの顔です。

 事実、ロンドンを単なる酒浸りの労務者にしなかったのは、彼の知識欲だったのでしょう。
 若い頃は、冒険小説を読むことこそが最高の楽しみであり、その後も大学受験のために猛勉強したり、詩やエッセイを書きまくったりと脳味噌を猛烈に働かせることに情熱を燃やしたのです。
 一方、彼を流行作家にしたのは、労働者としての経験(冒険)でした。牡蠣泥棒やアザラシ狩り、ゴールドラッシュに湧くアラスカにいった経験がなければ『野性の呼び声』は絶対に生まれなかったといえます。

 つまり、ふたつの生き方が上手く混じり合ったことが、作家としてのロンドンを生む最大の要因だったといえます。彼の作品は、百年後の今に至るまで世界中で読まれているわけですから、途轍もなく幸運な出合いなわけですが……。

 そんな彼も、作家としての名声を手に入れた後は、自ら進んで酒を飲むようになりました。最初のうちは、来客のために常に酒を用意しておかざるを得なかったとのことですが、次第に相手がいなくてもひとりでアルコールを嗜む習慣が身についたのです。
 ロンドンは、それを精神的な欲求だといった後、こう書いています。
「つまりは言いかえれば、老ぼれてきたのだ。人前に出ても、人の言うことなすことに対して、以前ほど喜びも興奮も覚えなくなっていた。(中略)私にとって、人間の交わりからくる活気や光やきらめきといったものは、次第に減少しつつあった」

 若く希望に満ちているときは、アルコールは単に、仲間とつき合うのための道具でした。飲んで騒ぐことが目的であり、酒は飽くまで絆を強固にするためと羽目を外すための手段に過ぎません。
 ところが、歳をとり、人生が以前より眩しくなくなると、心を麻痺させるために酒そのものが必要になるというわけです。

 酒に逃げるのは、心の弱いダメ人間なのか、それとも繊細で優しい神経の持ち主なのか。
 その答えが出るのは、もう少し人生経験を積んでからなのかも知れないとしみじみ思います。

※1:光文社古典新訳文庫『野性の呼び声』の解説を読んで知ったのだが、二十世紀初頭の「ネイチャーフェイカーズ事件」(偽の博物学者であることを指摘された)によって、シートンアメリカにおいてはすっかり忘れられた作家らしい。ひょっとすると、人気があるのは日本だけ?

※2:映画『ウィッカーマン』(1973)には、パンでできたジョン・バーリコーン像が登場する。


『ジョン・バーリコーン ―酒と冒険の自伝的物語』辻井栄滋訳、現代教養文庫、一九八六

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