読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『二重太陽系死の呼び声』『放浪惑星骸骨の洞窟』『惑星ゾルの王女』『双子惑星恐怖の遠心宇宙船』ニール・R・ジョーンズ

The Planet of the Double Sun(1967)/The Sunless World(1967)/Space War(1967)/Twin Worlds(1967)Neil Ronald Jones

 藤子不二雄(後の藤子・F・不二雄)が挿絵を描いたことで有名なジェイムスン教授シリーズ。
 勿論、それ以外にも読みどころは沢山ありますが、まずは、絵の話から入るのが礼儀でしょう。

 イラストは「藤子・F・不二雄大全集」の第3期購入特典「F・ART」に一部が再録されました。けれど、これはカラーイラスト(カバー画と口絵)がほとんどで、モノクロの本文挿絵の多くは漏れてしまったため、藤子Fファンであれば、ハリイ・ハリスンの『宇宙兵ブルース』(※1)とともに絶対に入手すべき文庫本です(なぜか2巻だけカバーデザインが異なる。写真)。

 ちなみに、各巻の収録イラスト数は以下のとおり。
1巻 カバー+カラー口絵+本文15点
2巻 カバー+カラー口絵+本文14点
3巻 カバー+カラー口絵+本文13点
4巻 カバー+カラー口絵+本文15点
参考:『宇宙兵ブルース』カバー+カラー口絵+本文13点〕

 訳者の野田昌宏は、2巻のあとがきで「ジェイムスン教授のイラストはゴマンとあるけど、まず、この藤子不二雄さんのやつに匹敵するものはひとつもないとおもうぜ」「日本SFイラスト史上屈指の力作だとおもうねェ」などと絶賛しています(その割に、単なる児童漫画家とでも思っているのか、やや馬鹿にしたような文調なのが気になるが……)。
 これは社交辞令ではなく、本当に素晴らしい出来映えなのです。当時、『ドラえもん』や『新オバケのQ太郎』が連載中で、猛烈に忙しかったはずなのに、愛のある丁寧な仕事ぶりには驚かされます(※2) 。
 タッチは、同時期の「イヤなイヤなイヤな奴」(一九七三)に似た劇画調。ただし、ゾル人(機械人)の造形はオリジナルではなく、原著のイラストをほぼ踏襲しています(あの設定と描写じゃ、誰が描いても同じになるだろうけど)。

 次に、ジェイムスン教授シリーズについて。
 これは長編ではなく、連作短編です。第一話が雑誌「アメージングストーリーズ」に掲載されたのは一九三一年。単行本は、何と三十六年も経ってから発行されました(エースブックスコレクションで5巻まで)。
 日本版は、その単行本を元にしていますが、残念ながら4巻まで(計十二話)しか訳されませんでした。ペリー・ローダンは別格としても、ハヤカワ文庫のスペースオペラには長寿シリーズが沢山あるだけに、頑張って最後まで発行してもらいたかった……。
 ちなみに、このシリーズは、未発表作品も含めると三十話あるそうです。……未発表ってことは、きちんと完結しているかどうか、かなり怪しい感じ。恐らくは明確な最終回はないんじゃないでしょうか。

 ジェイムスン教授シリーズの基本設定は、以下のとおりです。
 一九五八年、ジェイムスン教授は、自分の遺骸をロケットに納め、地球周回軌道に打ち上げてもらいました。
 四千万年後、滅亡した地球の周りで、宇宙人(ゾル人)によって発見されたジェイムスン教授は、不老不死の機械人として甦ります。

 この小説の凄いところは「主役クラスにヒューマノイドが一切いない」ってことでしょうか。
 地球人の登場しないSFは数多くあれど、人型の宇宙人・ロボットなどがレギュラーキャラクターのなかに存在しないシリーズは珍しいような気がします。
 しかも、ゾル人の名前は数字とアルファベットの組み合わせになっていて、ジェイムスン教授も21MM-392という名前を与えられています。
 機械萌えにとっては大満足の設定かも知れませんが、「4R-3579と459C-79の会話に25X-987が割り込んできた」とか書かれても、普通の読者はついてこられないかも(エヴゲーニイ・ザミャーチンの『われら』くらいなら問題ないけど……)。

 一方、機械だからこそ可能な冒険(機械人は「歳を取らない」「眠らない」「食べない」「思考波で会話をする」「過酷な条件でも生きられる」「機械翼を装着すれば空を飛べる」)も数多くあり、そこがこのシリーズの読ませどころにもなっています。
 そもそも「ほぼ永遠に生きられる機械人は、宇宙を冒険でもしなくちゃ退屈で仕方ない」という設定が無謀な冒険をする理由になっているのがユニークですね。

 さて、今回は、日本版四冊分の感想を、駆け足で記述してしまいます(各巻は色で区別する)。

「機械人21MM-392誕生! ジェイムスン衛星顛末記」The Jameson Satellite(一九三一)
 記念すべき第一話。とにかく、四千万年後の地球が舞台というスケールの大きさに痺れます。「何だか嘘臭いなあ」なんて思ってはいけません。娯楽SFなんですから、風呂敷はできるだけ大きく広げた方がよいのです。
 その上、この一編だけでも、重要なテーマが目白押しです。
 例えば、不老不死になった教授は、死の星となった地球の火口に落ち、身動きが取れなくなります。このまま仲間に見捨てられたら、ひとりぼっちで体も動かせず、永遠に生き続けなければなりません。自殺したくてもできないという不老不死の難点がいきなり教授に襲いかかります(筒井康隆の「生きている脳」よりはマシだが、パット・マガーの『探偵を捜せ!』のマーゴットよりは辛い状況。なお、結果的に、教授は救出される)。
 ほかにも「地球人が絶滅してしまったのに、たったひとり生きている意味はあるのか?」「地球を見捨て、ゾル人として生きるべきか?」など本質的な疑問を突きつけられた教授は、わずかな時間で厳しい選択を強いられます。独立した短編としても、緊迫感のある見事な出来です。

「奇怪! 二重太陽系死の呼び声」The Planet of the Double Sun(一九三二)
 ゾル人の体は代替可能なので、脳さえ破壊されなければ死ぬことはありません。脳が潰れる事故など滅多に起こらず、一方、最早生殖能力がなくなっているため、長い間、人口は増えも減りもしない(※3)……はずなんですが、二重太陽系のある惑星で、教授以外の乗組員全員(五十人)があっさり死んでしまいます。折角、機械人の名前を覚えたのに……。それとも、これはギャグなのか?

「仇討ち! 怪鳥征伐団出撃す!」The Return of the Tripeds(一九三二)
 前回、故障した宇宙船にたったひとり残された教授でしたが、孤独のまま、何と約七百年が経過します。機械の体は壊れなくとも、精神は確実にイカレるような気がしますけど……。
 さて、三脚人と手を組み、異次元で憎き怪物を倒した教授は、死んだと思っていた仲間十五人と七百年ぶりに再会しました。しかも、三脚人が新たに機械人となる道を選択し、めでたしめでたしです。

水球惑星義勇軍出撃」Into Hydrosphere(一九三三)
 全てを海で覆われた惑星を訪れた教授たち。ここには支配する種族とされる種族があり、教授たちは弱者の味方をし、反乱を企てます。
 自分のことは棚にあげて、他人のおせっかいばかりするアメリカ人らしい話。こういう幼稚なものを書くから、スペースオペラは子ども向けと馬鹿にされたのでしょう。ま、懐かしいし、スカッとすることは間違いないんですが……。

「教授なつかしの四千万年昔へ戻る」Time's Mausoleum(一九三三)
 教授たちは、航時球(過去をみることができる乗りもの。眺めるだけで干渉はできない)を使い、地球の歴史を追いかけてゆきます。やがて、千二百万年前まできたとき、航時球が破裂し、教授たちは過去に取り残されてしまいます……と思いきや、いや、まあ、こうなることは最初から説明されていましたけどね。

「放浪惑星骸骨の洞窟の怪」The Sunless World(一九三四)
 内部が空洞になった風船のような惑星。そこそこ知的な地底人が、知能を持たない円筒型の生物に捕食されるという逆転現象が起こっており、教授たちは地底人を救おうとしますが、彼らは迷信深く、なかなか心を開いてくれません。
「強くないけど、やたらと沢山いる敵と戦い、ピンチになると宇宙船に待機していた味方が助けにくる」というパターンが繰り返されるので、少々飽きてきます。作者はそれを見越したのか、クライマックスに、放浪惑星(※4)とほかの惑星との衝突を持ってきました。大胆な解決法が楽しいです。

「悲恋! 惑星ゾルの王女」Zora of the Zoromes(一九三五)
 教授を含む探検隊は、約千二百年ぶりに惑星ゾルに戻ります。ところが、彼らが留守の間、大きな問題が起こっていました。機械化の技術を手に入れたミュム人がゾルに反旗を翻したのです。教授たちは、さらわれた王女ゾラの婚約者ベクストを救い出すため、惑星ミュムに向かいますが、その甲斐虚しくベクストは八つ裂きにされてしまいます。
 機械化されたミュム人も、ゾル人と全く同じ姿なのが笑えます。ゾル人の科学技術は素晴らしいかも知れませんが、どう考えてもセンスは皆無なんだから真似しなくてもいいのに……。

「弔合戦 ―惑星ミュムへ出撃!」Space War(一九三五)
 機械人として甦ったベクストと、愛を失い、自ら進んで機械人になった王女ゾラは、兵士としてミュム攻撃に参加します。一方、ミュム人になりすまして敵の本拠地に潜入した教授は、敵のボスを追いつめてゆきます。
 意外や意外、ベクストとゾラの見せ場は全くありません。「弔合戦」とありますが、ボスを倒すのは思いもよらなかった者たちだったってところが面白い。
 ただ、設定は段々と怪しくなります。機械人は見掛では他者と一切区別がつけられません。例えば、教授が「俺はミュム人だ」といえば、誰もそれを否定できなくなってしまうのです(戸籍も存在しない)。自己同一性の構築が困難という問題を孕んでいるような気がしますが、そんなところには全く触れられないのがスペオペらしく豪快でよい……のかな。

「教授危うし! 金属喰い怪物あらわる!」Labyrinth(一九三六)
 金属を溶かすナメクジのような生物が、もの凄い数、襲いかかってきます。これまでは機械人であるがために数々の苦難を乗り越えてこられましたが、今回はその金属製の体が仇となります。何とか逃げ出した教授たちは、次にナメクジが作った迷宮で迷子になってしまいます。踏んだり蹴ったりですね。

「双子惑星恐怖の遠心宇宙船」Twin Worlds(一九三七)
 互いに相手の周りを周回する双子惑星。その一方に島流しに遭った元政府首席に協力する教授たち。
 遠心宇宙船とは、双子惑星間を行き来するためのカプセルみたいなもので、巨大な観覧車みたいなのを猛スピードで回転させ、その遠心力で一方の惑星まで吹っ飛ばします。こういう馬鹿馬鹿しい仕掛けは大好きです。
 ただ、この回に限った話じゃありませんが、待機している宇宙船と連絡を取るための、ごく簡単な通信装置さえ備えていれば、ほとんどの危機は簡単に乗り越えられてしまうような気がするんですよね……。これだけ発達したテクノロジーを有しながら、どうして仲間と連絡が取れないのか、不思議で仕様がありません。っていうか、それなのに遥か宇宙を旅するなんて、命知らずの冒険野郎にもほどがあります。

「箱型惑星光球生物の怪」On the Planet Fragment(一九三七)
 今度は、何と直方体の惑星です。そこに円盤型の住民がいて、別の生きものに脅かされているという、いつものパターン。世話好きの教授たちが救いの手を差し伸べるのもお約束どおりです。
 なお、円盤人は、でかくて凶悪なウウアウルスから身を守るため、高い壁に囲まれた街で暮らしています。今なら『進撃の巨人』を連想する人が多いのではないでしょうか。

「音楽怪人はギャンブルが大好き」The Music-Monsters(一九三八)
 同じ箱型惑星の高熱地帯で火炎人と戦った教授たちは、次に音楽で会話をする音楽怪人に出会います。ゾル人の宇宙船は、敵対するふたつの種族を乗せ、制御不能に陥ってしまいます。不時着した地帯には食肉植物が生い茂っていました。
 音楽を奏でる必要も、ギャンブル好きという設定も特に生かされていない点が、いかにもネタに困った苦し紛れ感が出ていて素敵です。

※1:藤子不二雄のイラストが掲載されているのはハヤカワ文庫のみ(ハヤカワ・SF・シリーズには載っていない)。また、ハヤカワ文庫でも新装版のイラストは、カバーも挿絵も横山えいじに変わっている。

※2:このイラストについてF先生は、 次のように語っている。
「「本気ですか?」と、思わず問い返したものです。ハヤカワSF文庫に挿絵を描け! と依頼があった時です。ボクは疑い深い人なのです。マンガ家になって○十年。挿絵なんて描いた事ないし、描けるとも思えない。ボクはオノレを知る人であります。「信じられないかも知れないけど、世の中には絵の描けないマンガ家がいるんです。ボクがその一人なんですよ」なぜかハヤカワさんは動じなかった。きっと代わりを探すのが面倒くさかったんでしょうね。ボクは論争に弱い人です。いつの間にか野田昌宏氏訳のブ厚いゲラの束を手にしていました。
ボクは乗りやすい人です。楽しんで描きました。描き終わって改めて見直して、ドッと冷汗が出ました。もう二度とサシエなど手がけまいと固く心に誓ったのです。その後四冊描きました。ボクだめな人。
野田氏がSFM誌でほめてくれました。その記事は何度も読み返しました。絵の方は一度も見ていません」
(「少年/少女SFマンガ競作大全集PART7」より)

※3:この設定は、後に変更になり、ゾル人のなかにも、有機人と呼ばれる人たちが存在することにされた。彼らは生殖をするため、肉体が衰えるまでは機械人にならない。

※4:英語のplanetは、ギリシア語のplanítis(放浪者)からきているそうである。また、日本語の惑星は「惑う星」という意味で、天動説が主流だった頃の名残らしい。古くは「遊星」ともいった。


『二重太陽系死の呼び声』野田昌宏訳、ハヤカワ文庫、一九七二
『放浪惑星骸骨の洞窟』野田昌宏訳、ハヤカワ文庫、一九七三
『惑星ゾルの王女』野田昌宏訳、ハヤカワ文庫、一九七四
『双子惑星恐怖の遠心宇宙船』野田昌宏訳、ハヤカワ文庫、一九七七


→『F VOICE藤子・F・不二雄
→「藤子・F・不二雄大全集藤子・F・不二雄