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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『アメリカの果ての果て』ウィリアム・H・ギャス

アメリカ

In the Heart of the Heart of the Country(1968)William Howard Gass

 前回の『石の女』の原題は『In the Heart of the Country』。そして、この短編集の原題は『In the Heart of the Heart of the Country』です。Heartが二度繰り返される分だけ、奥の奥という感じがしますね。
 では、アメリカの奥の奥とは、一体どこなのかというと、中西部(Heartland)のことです(ウィリアム・ハワード・ギャスの故郷はノースダコタ州)。平原が広がり、夏は暑く、冬は豪雪に見舞われるところが多いので、確かに地の果てといえるかも知れません。

 ギャスは、これまで邦訳がほとんどなく、単著はこの本のほかに『ブルーについての哲学的考察』というエッセイがあるのみ。
 尤も、彼は極端な寡作で、約五十年で長編を三冊しか書いていません。大学教授や批評家としても活動しているとはいえ、これだけ少ないと翻訳される機会が巡ってこないのも無理はないって気がします。

 しかし、ギャスはアメリカのポストモダン文学の重要な作家であることは間違いありません。『The Tunnel』(※)は二十六年を費やし一九九五年に出版されました。また、ヌード写真やタイポグラフィを駆使した実験的な『Willie Masters' Lonesome Wife』などもあります。
 懐かしさと旧弊が入り混じる田舎町を舞台とした『アメリカの果ての果て』は、それらに比べると前衛的な要素は少ないそうです。とはいえ、シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』のようなものを連想されると少々戸惑うかも知れません。寧ろ、ウィリアム・フォークナーら南部ゴシックの影響を受けているのではないでしょうか。
 今回は五編しかないので、すべての短編の感想を書いてしまいます。

ピーダセン家の子ども」The Pedersen Kid
 雪に埋もれて凍死しそうになっていたピーダセンの子どもを救出したホルヘたち。子どもの話によると、銃を持った男が現れ、家族を地下室に閉じ込めたため、逃げ出してきたとのこと。ホルヘと父親と使用人のハンスは、馬橇でピーダセン家に向かいます。
 子どもが凍死しそうになったり、橇が立ち往生したり、怪しい男が現れたりとかなり重大な事件が起こっているにもかかわらず、三人は慌てるどころか、ピントのズレたところ(ウイスキーのありかとか)で揉め、なかなか先に進みません。
 おまけに、語り手のホルヘは、現状を描写することより、取り留めのない記憶や妄想を優先してしまうため、「一体何が起こっているのか」「現実か否か」が非常に分かりづらくなっています。
 事件を起こしておきながら、それに依存せず物語が進行するというパターンは、前述の南部ゴシックによくみられます。勿論、それによって、少年の残酷さ、身勝手さ、エディプスコンプレックス(何度も父親を殺す)、大人への憎しみ、性への関心などを浮かび上がらせるのが目的でしょう。
 南部ゴシックと大きく異なる点は、何といっても「信じられないくらいの大雪」です。

ミセス・ミーン」Mrs. Mean
 閉鎖的な田舎町に引っ越してきたよそ者の「ぼく」。町の人は最初こそ警戒しますが、害がないと分かると「ぼく」の存在を無視し始めます。「ぼく」の方は、町の人たちに愛情を感じず、世俗を避けるため住民とのかかわりを極力拒否します。
 そんな「ぼく」でしたが、そのうちに住民を遠くから眺めているだけでは満足できなくなってしまいます。馬鹿にし、忌み嫌っていた彼らの生活に入り込み、感情を分かち合いたいと願うラストシーンは異なる価値観が邂逅する感動などではなく、グロテスクな恐怖にほかなりません。

氷柱」Icicles
 不動産屋に勤めるフェンダーは、セールスが上手くいきません。彼は、氷柱やパイ、社長、同僚などを材料に妄想を繰り広げ、やがてもうひとりの自分と対話をするようになります。
 狂気の原因は、強烈な個性の持ち主である経営者なのか、調子のいい同僚なのか、それとも氷柱ができるくらい厳しい気候なのでしょうか。孤独な独身者にとって、この寒さは過酷すぎます……。

ゴキブリに魅せられて」Order of Insects
 猫に殺され、手足がバラバラになったゴキブリに、美しい魂をみる主婦。「虫愛づる姫君」みたいな感じですが、オチには啞然とさせられます(忙しい主婦には、美や平和や暗い魂なんて馬鹿なことを考えている暇はないと素っ気なくいい捨てる……)。

アメリカの果ての果て」In the Heart of the Heart of the Country
 離婚して(?)、インディアナ州のBという小さな町にやってきた詩人の「私」。彼による、数多くの項目からなるBのスケッチ。
「ミセス・ミーン」に似ているというより、山本周五郎の『青べか物語』の米国版といった感じ。日本人の僕は、その時代に生きていたわけではないのにもかかわらず浦粕という町に郷愁を感じるのと同様、これはアメリカ人にとって背景のひとつなのかも知れません。
 実際、粗野な住民の住む田舎町ですが、決して否定的に描かれていません。ここは、失意に沈む孤独な「私」が辿り着いた過去の楽園なのでしょうか。

※:エルネスト・サバトの『トンネル』(El túnel)には邦訳がある。

『アメリカの果ての果て』杉浦銀策訳、冨山房、一九七九