読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ラスベガス★71』ハンター・S・トンプソン

Fear and Loathing in Las Vegas: A Savage Journey to the Heart of the American Dream(1971)Hunter Stockton Thompson

 ハンター・ストックトン・トンプソンは、ゴンゾー(gonzo)ジャーナリズムの生みの親として知られています。
 ゴンゾージャーナリズムがどんなものかは、トンプソンの出世作である『ヘルズエンジェルズ』(一九六七)を読めばよく分かります。

 アウトローバイカー集団「ヘルズエンジェルズモーターサイクルクラブ」は、一九六四年のモントレー・レイプ事件で全米に悪名を轟かせ、やがてオルタモント事件(ザ・ローリング・ストーンズ主催のフリーコンサート中、警備を担当していたヘルズエンジェルズに黒人青年が射殺された事件)を起こすことになります。
 血気に逸る若きトンプソンは、彼らの懐に飛び込み、取材者というより仲間として行動をともにしながら、無法者と呼ばれた男たちの実体を明らかにしていったのです。

 はっきりいって、くどいし長いし、構成も上手いとはいえません。さらに、従来のノンフィクションの常識では評価しにくい作品でもあります。
 例えば、エンジェルズは、マスコミや警察によって、手に負えない乱暴者という虚像を押しつけられたと主張しますが、彼らが暴力、レイプ、麻薬と密接な結びつきがあるのも確かで、「客観性に欠ける」とダメ出しされてもおかしくありません。
 しかし、それがゴンゾージャーナリズムの場合、逆に魅力になるわけです。

 とにかく、「こいつで世間をアッといわせてやるぜ」みたいな気迫がビンビン感じられます。駆け出しのジャーナリストが政府、警察、マスコミを向こうに回すのですから、はったりや空元気は必要不可欠ですが、それが厭味になっていないのはトンプソンの人柄でしょうか(「ほかの記者と違って、取材費は自腹だぜ」なんてことをわざわざ書いちゃったりする)。
 さらに、よい意味で単純なアウトローだったエンジェルたちが、ビートニクやヒッピーとの出会いによって変わってゆく姿を、混沌とした米国の未来と結びつけて哀悼の意を表するところ、そして、仲間だと思っていたエンジェルズにリンチされ、ボロボロになって逃げ出すところなどは哀愁が漂い、思わずジーンときてしまいます。
『ヘルズエンジェルズ』は、一九六〇年代のカウンターカルチャーに興味のある方にとっては外せない一冊ですので、入手容易な今のうちにぜひお読みください。

 さて、主観を重視し、ときに想像力をも駆使してしまうトンプソンの手法は、ノンフィクションの範疇を軽々と飛び越えてしまいます。そのせいで、映画化された『ラム・ダイアリー』や『ラスベガス★71』は、フィクションとされているようです。

 本の感想に入る前に、パラテクストについて少し述べておきます。
『ラスベガス★71』は、映画(『ラスベガスをやっつけろ』)が一九九八年に公開されたため、原作が新たに翻訳出版されました(※1)。映画化される際、書名は映画のタイトルに揃えるのが普通ですが、この本は違います。
 先行訳(『ラスベガスをやっつけろ!』)の邦題が別の出版社だったせいか、訳者が嫌がったのか、はたまた別の事情か、カバーも帯も映画仕様にもかかわらず、『ラスベガス★71』という不思議な書名になっています(※2)。これは、非常に珍しい例ではないでしょうか(※3)。

 なお、『ラスベガス★71』は、装幀がとても凝っていて、カバーはLSDを染み込ませた紙片を模して、四角く切り取れるようになっています。試しに嘗めてみましたけど、残念ながらトリップはしませんでした(この部分は切れやすいので、古書を購入する際はコンディションに注意する必要がある)。
 さらに、ラルフ・ステッドマンのイラストも悪酔いしそうなくらいキレています。

 ジャーナリストのラウール・デューク(※4)と、弁護士のドクター・ゴンゾー(オスカル・ゼータ・アコスタがモデル)は、真っ赤なコンバーチブルにドラッグや酒を大量に積み込み、ミント400という砂漠を舞台にしたオフロードレース(当時は、二輪車もあった)の取材のため、ラスベガスに向かいました。
 一日中、薬と酒漬けのふたりは、ホテル代を踏み倒したり、ハイウエイを酔って走行したり、マグナムをぶっ放したり、滑走路に猛スピードで侵入したり、麻薬捜査官のふりをして素っ裸でメイドのおばちゃんをからかったりとやりたい放題。仕事の方はというと、レースの取材が、いつの間にか全米検察官協会の麻薬等薬物会議の取材になってたりして……。
 で、結局は、アメリカンドリームなんてみつかるはずもなく、ラリったままラスベガスを後にします。

『ヘルズエンジェルズ』が渾身の大作なら、『ラスベガス★71』は肩の力を思いっ切り抜いた自由すぎる作品です。
 実際、この取材旅行の目的は「スポーツイラストレイテッド」に依頼されたミント400のルポだったそうですが、そっちの方は没になり、気分転換に書いていた『ラスベガス★71』が代わりに日の目をみたとか。
 ちなみに、トンプソンは、もうひとつメキシコ人の新聞記者殺害事件の記事(「Strange Rumblings in Aztlan」)も書いていて、ラスベガス行きは、その件で弁護士にじっくりインタビューする機会を作るためでもあったそうです。
 それらはまともな記事らしいので、一応仕事はしてたようですね。

 デュークもヤバいけど、とにかくドクター・ゴンゾーが出鱈目な人物です。始終ラリってる上、ナイフや銃を弄んでいるような奴になんか絶対に近づきたくない。彼と比べると、ヘルズエンジェルズが天使のようにみえてきます。
 ま、こんな人間が長生きできるはずもなく、彼(アコスタ)は一九七四年にメキシコで行方不明になり、死んじゃったみたいですけど……。

 ふたりとも、狂ったように滅茶苦茶をやっていますが、楽しいとか痛快というより、知らず知らずのうちに袋小路に辿り着いてしまっていた者の絶望感を強く意識させられます。
 トンプソンが『ヘルズエンジェルズ』を書いた一九六五年頃はまだ未来に希望が見出せ、あらゆるものが善かれ悪しかれエネルギーに満ちていたのでしょう。それから五年が経ち、ベトナム戦争はちっとも終わる気配がないし、目の前に夢の残骸が広がっているのをみれば、ヤケクソになるのも無理はないのかも知れません。
 まあ、それでも現代からみれば、どれだけマシでしょうか……なんて書くと、いかにも尤もらしいのですが、時代の閉塞感なんて、多分何千年も前から存在したに違いありません。

 それより大切なのは、「俺なんて、どの時代、どの国に生まれたとしても、ただの屑だ」と認めた上で、刹那的な生き方ができるかどうかってことです。
 どん詰まりでも、酒に溺れることすらできない僕は、彼らの狂乱ぶりを指をくわえてみてるだけ。痛むわけじゃないのは分かるけど、死ぬ勇気すらありません。

 トンプソンは、時間はかかったものの、しっかり片をつけた(二〇〇五年に拳銃自殺した)わけで、筋の通った生き方だったのではないでしょうか。
 っていうか、この本を書いた後、三十年以上もよく走り続けられたもんだと感心します。まっしぐらに向かったはずの地獄は、案外と遠くにあったのかしらん。

※1:『ヘルズエンジェルズ』も、二種類の訳本がある(僕は石丸元章訳を買った。読みやすいが、誤植は多い)。何と、こちらは刊行が八か月しか違わない。石丸は初めての翻訳に六年を費やしたそうだから、たまたま刊行のタイミングが近くなってしまったのかも知れない。トンプソン本人から邦訳の許可を得ていたそうなので、先を越されてしまったのは悔しかっただろう。

※2:しかも、「あとがき」では、単に『ラスベガス』と呼ばれていたりするので、余計に頭が混乱する……。なお、「71」は、次作の『Fear and Loathing on the Campaign Trail '72』から持ってきたのか? 「★」は『イージー☆ライダー』か? まさかね……。

※3:この読書感想文で取り上げた本を例にしても、チャールズ・ポーティスの『勇気ある追跡』は一九六九年の映画公開に合わせ翻訳出版されたが、リメイクされ邦題が『トゥルー・グリット』と改められると、同名の新訳が出た。バーナード・マラマッドの『ナチュラル』は『奇跡のルーキー』(ハヤカワ文庫)、『汚れた白球』(角川文庫)という邦題だったが、映画公開に合わせカバーが差し換えられ「ナチュラル」の文字が加えられた。
 例外は、W・P・キンセラの『シューレスジョー』の文庫版。映画『フィールド・オブ・ドリームス』の日本公開後だったにもかかわらず、書名の変更も、カバーの変更も行なわれなかった(帯にスティル写真の掲載と、映画の原作であることが記載された)。

※4:デュークは、トンプソンの偽名らしい。ただし、デュークは『ヘルズエンジェルズ』や、ギャリー・トゥルードーの『Doonesbury』にも登場する。ちなみに、自伝的小説『ラム・ダイアリー』の主人公の名はポール・ケンプという。


『ラスベガス★71』山形浩生訳、ロッキングオン、一九九九