読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『絢爛たる屍』ポピー・Z・ブライト

Exquisite Corpse(1996)Poppy Z. Brite

 サイコサスペンス、ニューロティックスリラー、猟奇ホラーなどに分類されるような小説・映画・漫画は、毎年のように話題になる作品が現れます。僕も嫌いじゃないので色々と試してみますが、刺激に慣れてきたのか、大きく驚かされることは少なくなっています(寧ろ『消された一家』や『凶悪』といったノンフィクションの方がゾッとさせられる)。

 はっきりいってしまうと、一九九〇年代に刊行されたブレット・イートン・エリスの『アメリカン・サイコ』と、ジョイス・キャロル・オーツの『生ける屍』以上のものにはお目にかかっていません。両者は、このジャンルにおいて群を抜いた傑作だと思います。
 尤も、僕は恐怖やグロテスクさを評価の基準にはしておらず、寧ろ諷刺やパロディとして優れていることが条件のひとつとなります。また、映像ではなく文学であることの意味を求めるタイプでもあります。
 そのため、トマス・ハリスの「ハンニバル」シリーズとか、ジェフリー・ディーヴァーの「リンカーン・ライム」シリーズとか、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」シリーズなどが好きな方にはお勧めできませんが……。

 なお、『生ける屍』は、十七人を殺害し死姦しバラバラにし人肉を食った「ミルウォーキーの食人鬼」ことジェフリー・ダーマーをモデルにしています。
 そして、同じくダーマーをモチーフにしたのが、ポピー・Z・ブライト(※)の『絢爛たる屍』です。

 ……と、本題に入る前に、作者のことを簡単に説明しておきます。
 ブライトはトランスマン(FTM)で、邦訳が出たときは「彼女」でしたが、現在は「彼」という代名詞が適切です。どーでもいいでしょうけど、生年は僕と同じ(誕生日は六日しか違わない)なので、勝手に仲間意識を持ったりしていますが、残念ながら十年近く前に引退を公表したため(ちなみに僕は戦力外通告か?)、新作は期待できそうにありません。
 作風はというと、いわゆる耽美ホラーを得意としており、「ヴァンパイアクロニクルズ」シリーズで有名なアン・ライスと比較されることもあるといえば、何となくイメージが掴めるでしょうか。

 実際、処女長編の『ロスト・ソウルズ』(一九九二)はヴァンパイアものです。
 ヴァンパイアの美青年と一夜限りの性交をして身籠った少女ジェシー。母親の子宮を破って生まれた男児ナッシングが十五年後、育ての親の家を飛び出し、実の父親であるヴァンパイアと出会います。そこに、「ロスト・ソウルズ?」というバンドのメンバー、ヴァンパイアのバーテンダー、行方不明の娘ジェシーを探す老人、夢から現れた双子のヴァンパイアらがからみ、血とセックスの饗宴が始まります。

 美少年を巡るあらゆる形態のセックス(当然BLがメインで、父と息子の近親相姦もある)、アルコールとドラッグと血、ゴシックロックやポジティブパンク、そして猟奇殺人(親友までも平気で殺す)に満ち満ちていて、いかにもその手の趣味を持つ女性限定といえそうな小説です。加えて「作者は執筆当時二十代の女性だった」と聞くと、嫌悪感を抱かれる方もいるかも知れません。
 それらが不快でしかないというのならともかく、「特に興味はないけど、別に嫌いでもないや」という方でしたら、エンタメ小説として読みやすく十分楽しめる作品なので、ぜひご一読ください。

 実をいうと『ロスト・ソウルズ』を読んだのは『絢爛たる屍』の後で、本が刊行された段階(一九九五年)では僕のアンテナには全く引っ掛かってきませんでした。
 二十一世紀になり、長編第三作である『絢爛たる屍』の訳本が発行されたときも作者の名前は知らず、「また、新手のサイコホラーか」と大して期待をせずに購入しました。
 想像していたものとは全く違い、ホラーでもサスペンスでもありませんでしたが、歪な、いや純粋な恋愛小説として上々の出来映えでした。『ロスト・ソウルズ』と違ってファンタジーの要素が多くないため、大人の読書にも耐えうると思います。

 ロンドンに住むゲイの殺人鬼でネクロフィリアのアンドリュー・コンプトンは、二十三人を殺した罪で服役していた刑務所から脱走します。一方、ニューオリンズの富豪で、アンドリューと同じ性癖を持つジェイ・バーンは、好みの青年を屋敷に招き入れ、次々に惨殺・解体をしていました。
 そのふたりがフレンチクォーターで出会い、忽ち恋に堕ちます。そして、お互いの異常な性癖(死体性愛)を認め合い、協力して殺人を犯すようになります。
 やがて、ふたりは、ベトナム人の少年トランの殺害を企てますが……。

「女性の体を持って生まれてきてしまったゲイ」であるブライトは、この作品に特別な思い入れを持っているのではないでしょうか。
『ロスト・ソウルズ』では女性とのセックスも描かれましたが、『絢爛たる屍』の主要な登場人物は全員ゲイです。それ故、混じり気のない純粋な愛が語られます。
 また、性行為は美化せず、具体的かつ詳密に描写されています。はっきりいってヘテロにとって、ここまで直接的な表現は必要ありません。
 ですが、読者をおきざりにし、自分の好きなことをやったという感じがして、何ともいえず爽快なのも確かです。小説を書くだけで一生食ってゆくのは困難なのですから、チャンスがあれば思い切ってやりたいことをやればよい。その方が、多分、読み手も喜ぶはずです。

 勿論、殺しの手口や死体を切り刻む描写にも同じくらい多くの枚数が割かれてはいます。
 例えば、ジェイのモデルはダーマーで、アンドリューのモデルはロンドンで十五人以上を殺害したデニス・ニールセンのようです。それ以外にも切り裂きジャックエド・ゲイン、フリッツ・ハールマン、ゾディアックら歴代の殺人鬼の名前があがっています。
 ブライトは『ロスト・ソウルズ』でお気に入りのミュージシャンについて触れていましたが、差し詰めこちらはMy Favorite Serial Killersといったところでしょうか(こう書くと、名古屋の事件を思い浮かべる人がいるかも知れないが、文学として昇華している点が全く違う)。

 しかし、それらは飽くまで趣味、ないしは本を売るための装飾という気がします。
 やはり、本当に描きたかったのは恋愛なのではないでしょうか。
 様々な人種、年齢、職業の男たちが、様々な愛の形をみせてくれますが、特にエイズの小説家ルークとトランの恋は、主役のふたりを食ってしまうほど切なく狂おしい。いや、真の主人公は囚われの美少年トランと、彼を救うため敵の巣窟に乗り込む瀕死の騎士ルークなのかも知れません。

 けれども、いずれの恋も成就せず、破滅に向かって突き進んでゆきます。
 その象徴というべきものが、後天性免疫不全症候群エイズ)です。
 この作品が執筆された一九九〇年代半ばの時点で、エイズは「発症すると死に至る」「男性同性愛者や麻薬常習者に多いいかがわしい病気」と考えられていました。ですから、その頃、ゲイで、HIV陽性で、ドラッグをやっている者は、エイズそのもののみならず、社会によって抹殺されてしまうこともありました。
 それは悲劇であるとともに、HIV陽性者同士の心の結びつきを強めることになったのではないでしょうか。

 この物語は、クィアと社会とのかかわりを描くわけでも、セクシャルマイノリティーがいかに虐げられてきたかをテーマにしているわけでもありません。
 寧ろ虚構内には、異端者や怪物しか存在しないといってよい。つまり、次元の狭間に生まれたパラダイスにおいて、死によって固く結びつけられた者たちが退廃的な性愛に思う存分浸るのが読みどころなのです。
 ですから、ジェイがセックスのとき、HIV陽性のアンドリューにコンドームを外すようお願いするのは、ごく当たり前の要求です。

『生ける屍』の主人公クウェンティン・Pは、恵まれた家庭に育ち、悩みも人を殺す理由もなく、さらには心の闇すら全く感じさせない人物です。そこが新鮮であると同時に、彼を生んだ社会の病巣の深さも感じさせてくれました。
 一方、『絢爛たる屍』は、ひとりの人間から可能な限り社会性を剥ぎ取り、死の匂いを振り撒き、ひたすらデカダンな美を追求しています。

 冒頭の話に戻ると、『絢爛たる屍』はサイコホラーの傑作とはいえません。殺人鬼が複数現れ、彼らの視点を取ることによって、寧ろ『アイ・アム・レジェンド』の如く一般人が異邦人のようにみえてきてしまうため、恐怖も狂気も感じないからです。
 また、批判精神やユーモアに欠けるので、文学としても『生ける屍』には及ばないでしょう。トランを殺害する際のジェイの葛藤が描かれていない点にも不満が残ります。

 しかし、ゲイのポルノグラフィ、あるいは洋モノBLとして、どういった評価が下されるのかは残念ながら分かりません。
 恋愛小説としては十分ロマンティックですが、果たして性的な興奮を覚えるか否かは、僕では何とも判断がつきかねますので……。

※:マーク・Z・ダニエレブスキー同様、ミドルネームのZが何の略なのか分からない。

『絢爛たる屍』柿沼瑛子訳、文春文庫、二〇〇三