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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『破壊しに、と彼女は言う』マルグリット・デュラス

フランス

Détruire, dit-elle(1969)Marguerite Duras

 映画監督でもあったマルグリット・デュラスは、自作の映画化、舞台化を常に念頭に置いて小説を執筆していたそうです。
 一九七三年の『インディア・ソング』には「texto-teatro-film」という言葉が付されていますが、その四年前に発表された『破壊しに、と彼女は言う』も限りなく戯曲に近い形式になっています。
 会話が主体で、最低限の状況描写が付されており、三一致の法則から外れてもいません。おまけに巻末には「上演のためのノート」がついているため、ちょっと加工すればすぐに上演可能となるでしょう。

 ただし、内容は前衛的で難解です。
 前作『ヴィオルヌの犯罪』(一九六七)までは「roman」という文字がついていましたが、本作からは消えてしまいました。
 勿論、これによって、デュラスはアンチロマン(ヌーヴォーロマン)に傾いたなんて単純なことはいえませんが、少なくとも初期の傑作『モデラート・カンタービレ』(一九五八)のような狂おしいほどの熱情は感じられません。
 尤も、デュラスほど活動期間が長く、多岐に亘っている場合、一枚のレッテルを貼って分類することなど到底不可能なんですが……〔最も有名な『愛人 ラマン』(一九八四)にしても簡単に理解できる小説ではないが、晩年の『北の愛人』(一九九一)になると随分と分かりやすくなっていたりする〕。

 あるホテルに滞在している四人の男女。若い妻を持つ大学教員のマックス・トル、マックスの妻アリサ、ユダヤ人のシュタイン、流産した後、療養しているエリザベート・アリオーヌ……。
 四人の奇妙な関係は、エリザの夫が迎えにくるまで続きます。

 この作品は、前述のとおり上演が意識されており、事実、デュラス自身の手によって映画化されています。また、デュラスは「十通りの読み方がある」と述べていることから、完成されたテクストというより、様々に発展させることが可能な、優れた素材という気がします。
 つまり、意味が極めて曖昧で、何をどう読み取るかは、読者の能力に委ねられているのです。
 男性ふたりがユダヤ人であることからユダヤ人問題を読み取る人もいれば、精神病や狂気を文学的に昇華させたと感じる人もいるでしょう。
 僕はというと、やはり「愛と孤独」について考えさせられました。

 主な舞台となるのは、庭に面したホテルのレストランですが、四人を静かな狂気が覆っているため、さながらサナトリウムといった雰囲気があります。近くにあるらしいテニスコートからはボールを打つ音だけが響いてきて、そのせいでレストランはより静けさが増します。
 病んでいる彼らは、表面的かと思うと、ときに鋭く内面に切れ込む言葉のやり取りを通じて、それぞれがそれぞれを愛し始めます。
 例えば、マックスは「ぼくは、死にもの狂いの愛情をこめてアリサを愛してます」と宣言した直後に、エリザに向かって「あなたを愛したいんだ」と告白するのです。

 だからといって乱交のような関係ではありません。
 マックスとシュタインはともにユダヤ人で、年齢も容姿も職業も性格もよく似ており、アリサとエリザも歳こそ違えど共通点が数多くあります。
 エンタメ的にいうと「キャラが被ってる」わけですが、ここでは自己と他者を同時に愛するために、男女ふたりずつが必要だったと考えられるのではないでしょうか。

 実際、アリサは、ふたりの男性の恋人でありながら、自分の分身であるエリザをも深く愛します。
 ただし、愛の形については全く重要視されていません。アリサは、マックスとは毎晩セックスをし、シュタインとは肌を触れ合わせ、エリザとは飽くまで観念的な関係を保ちますが、それをもって愛に序列をつけることなどできないのです。

 あるいは、四人は肉体的(社会的)には既に死んでいるのかも知れません。寂しいホテルに住み、眠る必要もなく(マックスもシュタインもよく眠れず、エリザは薬に頼っている)、食べる必要もない(エリザの夫が迎えにきたとき、食事しているのは彼のみだった)なんて、まるで亡霊のようではありませんか。
 彼らに残されたのは、饒舌だけど、ほとんど意味を持たない言葉のみ。
 しかし、かろうじて保たれていたバランスは、エリザが去っていった後、脆くも崩れ、三人の空虚な会話とともに空中分解してしまいます。

「破壊しに」は、夫のいるホテルを訪れた際のアリサの科白です。彼女が壊そうとしたものは一体何だったのでしょうか。
 夫の幸せなのか。それとも、父娘ほど歳の差のある夫婦関係だったのか……。
 ひょっとすると、自分の存在そのものだったのかも知れません。

『破壊しに、と彼女は言う』田中倫郎訳、河出文庫、一九九二