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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『気球乗りジャノッツォ』ジャン・パウル

Des Luftschiffers Giannozzo Seebuch(1801)Jean Paul

 ジャン・パウルの代表作『巨人』は、四巻に分けて出版されましたが、読者サービスとして各巻に付録がつけられたそうです。そして、第二巻の付録が、この『気球乗りジャノッツォ』です。
 岩波文庫の『陽気なヴッツ先生』(※)を読まれた方ならご存知のとおり、パウルは脱線が大好き。ところが、大作『巨人』では、それが許されず、代わりに付録で脱線欲を満たしたなどといわれています。

 また、わざわざフランス人っぽいペンネーム(本当はジャン・ポールと呼ばれたかったらしい)をつけたパウルは、ドイツに対して批判、諷刺、皮肉を繰り返した作家です。
『気球乗りジャノッツオ』でも、ジャノッツォというイタリア人が気球に乗り各地(架空の国や都市)を訪れます。そこで見聞を広めたり、トラブルを巻き起こしたりするわけですが、パウルの目的はドイツを手厳しくやっつけること。十四回の航空で、それぞれ攻撃目標を変え、相手をからかったり、批判したりしています。
 形式は小説ですが、半分は啓蒙主義的諷刺書といえるかも知れません。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』に通じる部分もあるといえば分かりやすいでしょうか。

 ちなみに当時、フランスを中心にして気球ブームが起こっていて、一七八五年にはガス気球によるドーバー海峡横断に成功していました。が、同時に死亡事故もあったりして、まだまだ安定した航空にはほど遠かったそうです。
 パウルは最新の航空知識を駆使したのではなく、気球ブームに刺激されて空想を働かせたといえます。船で各地を訪れたガリヴァーに比べ、気球は風任せで、どこへ着くか分からない点が、気まぐれに色々なものを諷刺するのに合っています。おまけに、ときには地面に下りず、高みから観察することができたのも好都合でした。
 尤も、そのせいで、ジャノッツォは雷に打たれ、命を落とすわけですが……。

 なお、その後、気球で冒険する小説として、ジュール・ヴェルヌの『気球に乗って五週間』(一八六三)や、そのパロディであるマーク・トウェインの『トム・ソーヤの探検』(一八九四)があげられます。この頃は、気球に乗ってアフリカへいくことができました。
 まあ、エドガー・アラン・ポーの『ハンス・プファアルの無類の冒険』(一八三五)では、気球で月までいっちゃいますけど……。

 さて、『気球乗りジャノッツォ』は、ジャノッツォの日誌を友人グラウルが入手してパウルに持ち込むというややこしい手続きが取られています。さらに、ジャノッツォは日誌のなかでパウルの著作物に言及しており、逆に日誌にはパウルやグラウルによる書き込みが加わっていたりします。
 なぜ、こんな手の込んだことをしたのかというと、やはり責任の所在をあやふやにするという意図があったのではないでしょうか。とにかく、パウルは手当り次第に毒を吐きまくるので、少しでも鎧を身にまとっておかないと、集中砲火を浴びて反対にやっつけられてしまい兼ねません。

 何しろ、パウルが諷刺しているのは、小国の君主、均質化された大衆、女たらしと騙される女、詐欺紛いの商人、腐敗した上流階級、戦争、裁判、教育、宗教などなど、強きも弱きも、聖も俗も区別はありません。
 これでよく嫌われなかったなと思いますが、フランスやイギリスでの人気に比べると、本国ドイツでは今一パッとしなかったとのこと。それも納得です。

 残念ながら、今では諷刺の対象そのものが存在しなくなってしまったケースが多くあります。いや、それ以上に、現代の日本人がパウルの凝りまくったレトリックや文体についてゆくのは容易ではないでしょう(訳文も古い)。したがって「女房を質に入れても読め(嫁)」とまではいえません。
 しかし、彼の毒とユーモアと批判精神は、いつの時代でも小説家やジャーナリストが有していなければならないものだと思います。
「最近、俺、丸くなったなあ」と感じたら、こういう本を手に取ってみるのも一興ではないでしょうか。

※:これは『見えないロッジ』の付録。

『気球乗りジャノッツォ』古見日嘉訳、現代思潮社、一九六七