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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ

フランス

Delirium Circus(1977)Pierre Pelot

 先日、古いハヤカワ文庫を整理していたとき、「文庫創刊10周年 総点数1000点突破! ダイナマイト1000」と書かれた帯をみつけました(一九八〇年刊行のスタニスワフ・レムの『泰平ヨンの航星日記』に巻かれていた)。
 十年で千冊ということは、平均すると年間百冊刊行されていた計算になります。それに引き換え、サンリオSF文庫は十年で二百冊ですから、やはり量においては圧倒的に分が悪かったといえます。

 一方、胡散臭さにおいては他の追随を許しません。
 その最たるものが本書で、タイトル、カバーイラスト、解説と訳者あとがき、そしてカバー裏の紹介文、どれを取っても捉えどころがなく、どんな内容なのかさっぱり分からない……。一九八一年の刊行当時、この本に五百二十円も支払った人は、相当の変わり者だったのではないでしょうか(当時、セブンスターが百八十円)。

 全体がバーチャルな映画セットになっている惑星。俳優のシティズンは、ゾロ・ナップ役で人気を博し、富と名声を手に入れます。
 しかし、この星では、自然も動植物もすべて作りものであることにうんざりし、若い女優のマリリンとともに脱出を図りますが……。

 この世界は、核地帯と呼ばれる中心地にあらゆる種類の泡地区があり、その想像空間(エスパジネ)がそのまま映画のセットになったり、社会生活の場になったりしています。核地帯は、環状地帯という無秩序な地域に取り巻かれ、そのさらに外には何も存在しないとされています。

 また、ここは完全な階級社会で、スタンドイン、端役、エキストラ、脇役、スターなど細かく序列が決まっています。現実の映画界や演劇界も、それに近いかも知れませんが、大きく異なるのは端役たちが撮影中にガンガン死んでゆくこと。文字どおり使い捨てられる存在で、そこから頂点へ登り詰めるためには実力以上に運が必要になってくるでしょう。
 そのほかに映画監督、プロデューサー、脚本家などもいますが、最も力が強いのは「大衆」です。映画関係者は、大衆に気に入られようと映画を濫造します。しかし、その大衆がどこにいるのか誰にも分かりません。それ故、大衆は神のような存在となっています。
 シティズンは、こうした仕組みを利用してトップスターになったけれど、紛いものの世界、胡麻を擂る取り巻き、得体の知れない大衆に嫌気が差し、そこから飛び出そうとします。

 パッケージのヘンテコさが際立っているものの、読んでみると案外まともな小説です(悪くいうと、ありがち)。
 ディストピア小説の一種で、映画界のみを取り上げている点がユニークですが、反面、諷刺する対象が狭いという欠点も備えています。
 大衆の好みに合わせるという大義名分で大量に垂れ流されるエンターテインメント。そして、それらに群がる制作者は、新しいものを生み出す努力もせず、自らの立場を守ることだけに必死になっている……なんて具合になるでしょうか(階級社会、管理社会の恐怖みたいなテーマもあるだろうけど、詰まらないので触れない)。
 この小説が書かれてから四十年経った現在、エンタメの賞味期限はますます短くなっており、市場は細分化されています。万人に受けるものなんて最早存在せず、感動を共有することも難しくなりました。そういう意味で、プロの危惧は正しかったといえます。

 けれど、いつの時代も、良質のものなんてごくわずかしかありません。近年は粗製濫造が激しくなったといわれますが、「名作」「古典」などといってありがたがっている作品のなかにも、かなりひどいものが含まれています。
 また、どんなにゴミが多くとも、なかには必ず宝が混じっていて、それを探し出すのも芸術の楽しみ方のひとつなのです。

 それはさておき、どこにいるか分からない大衆の顔色を伺いつつ行動するシティズンたちは、まるで自分たちが虚構であることを承知している登場人物のようです。しかも、彼は役者であり、ゾロ・ナップという役になりきっています。おまけに、シティズン自身をモデルにした脚本も書かれるという複雑さ。
 シティズンは環状地帯の外へ脱出することによって、大衆の存在を否定しようとし、読者は大衆とは一体、何者なのか明らかになることを期待します。ひょっとすると、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』や、ルイジ・ピランデルロの『作者を探す六人の登場人物』に迫るんじゃないかとワクワクする、それくらい雰囲気があるのです。

 結論からいうと、メタフィクション的な設定がほとんど生かされてないのが残念でした……。
 シティズンは与えられた役を黙々とこなすロボットに過ぎないが、何と大衆こそが、プログラミングされた大量のロボットだったという諷刺SFらしいオチがつきます。
 まあ、綺麗にまとまってはいるけど、「期待してたのは、これじゃないんだよなあ」といいたくなる小説です。

『この狂乱するサーカス』篠原義近訳、サンリオSF文庫、一九八一

サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロンゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中ガブリエル・ガルシア=マルケスオクタビオ・パスほか
→『サンディエゴ・ライトフット・スー』トム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『ジュリアとバズーカアンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン