読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『力の問題』ベッシー・ヘッド

A Question of Power(1973)Bessie Head

 ベッシー・ヘッドは、黒人の父親と白人の母親の間に生まれたカラード(混血)です。英国人の母は黒人の馬丁との子を宿したことで精神病院に入れられ、ヘッドはそこで生まれました。
 やがて母は自殺し、遺してくれたお金でヘッドは高等教育を受け、教師になります。

 結婚して一児を儲けますが、やがて離婚し、アパルトヘイト政策下の南アフリカからベチュアナランド保護領(後のボツワナ)に亡命します。しかし、国籍は失ったままで、ボツワナの市民権を得るのは十五年後でした。
 難民として移動を繰り返していたヘッドはセロウェで暮らすようになり、その頃から小説を書き始めます。

 そんなヘッドの名を世に知らしめるきっかけとなったのが『力の問題』(※)です。
 極めて自伝的な小説であり、主人公エリザベスがボツワナのモタベング村で暮らすようになるまでの経歴は、ヘッドとほぼ同じです。

 アパルトヘイト下の南アフリカは、エレン・クズワヨの『さあ、すわってお聞きなさい』の項でも述べたように、黒人が白人に支配され、さらに女性は男性に支配される構造の社会でした。つまり、黒人女性は、人として生きてゆくことを許されなかったといえます。
 さらに、エリザベス(ヘッド)はそれよりも過酷なカラードという存在です。白人からも黒人からも疎外され、自分の居場所はどこにもありません。
 もっというと、母親は異人種間の性交が禁じられていた南アフリカにおいて破廉恥罪で精神病院に入れられ、母の死後は孤児として育ち、成人してからは社会的に最も立場の弱いシングルマザーとなりました。
 これでは、亡命以外の選択をしろという方が無理というものです。

 しかし、エリザベスが辿り着いたモタベングは、かなり原始的な村でした。
 排他的かつ村人は自分たちが生きてゆくのに精一杯で、余所者のことなど構っていられない。幼い息子を抱えるエリザベスは教師をやめさせられ、孤立してしまいます。
 その後、彼女は地場産業プロジェクトでの活動を通じてツワナ人、ヨーロッパやアメリカからきた白人たちとかかわり、自分の居場所を作ってゆきます。

 ……などと書くと、ガチガチのリアリズム小説に思われるかも知れません。勿論、そうした面もあるのですが(収益表まで掲載している)、一方でエイモス・チュツオーラ、ベン・オクリ、ソニー・ラブ=タンシと同じく、マジックリアリズムの要素も大いに備えています。
 昼の世界のエリザベスは、理知的で芯の強い女性。しかし、夜になると全く別の面をみせるのです。

 彼女の夢のなかには、章のタイトルにもなっているセロ、ダンという男たち、メデューサ、カリグラ、神父らが現れます。そして、エリザベスを暴力によって痛めつけ、追い出し、命を奪おうとします。
 深刻な神経衰弱に見舞われたというヘッドは、その体験を文学に取り入れたのでしょうか。例えば、精神に異常をきたしたギ・ド・モーパッサンにも幻に取り憑かれたような短編小説がいくつもあります。『力の問題』の闇の部分には、それに似た雰囲気を持っています。

 セロやダンは実在するとエリザベスは説明しますが、彼女の頭のなかだけに住むことは明らかで、実際、村人は彼らに言及しません。その癖、夢のなかでの殺人が本当に起こったり、昼間、目覚めているときにもセロたちが姿を現したりと、現実と妄想の境界は極めて曖昧となります。
 この辺りは、いかにもアフリカの作家らしい。生者と死者、現と幻が共存していても全く違和感がありません。

 いや、そもそも『力の問題』は、単純な対立構造(昼と夜、白人と黒人、男と女、天国と地獄、西洋文明とアフリカの伝統)に疑問を投げかける小説です。
 そこから逸脱したエリザベス(カラードで、亡命者で、シングルマザー)が生きるのに苦労しなければならないのは、人々が伝統や信仰や権威に縛られているからです。まずは彼女自身がそうした呪縛から解放される必要があり、この小説はその過程を描いているといえます。

 毎夜毎夜の悪夢に悩まされ、次第に精神を蝕まれてゆくエリザベス。順調だった農園での活動もできなくなり、精神病院に入院することになります。退院後も、自殺することを考え続ける……。
 しかし、得体の知れない存在だと思っていたセロは、エリザベスの味方であることが分かります。彼の助けを得てエリザベスは、力で捻じ伏せようとしていたダン(サタン)を退けることに成功します。

 人が人を力で押さえつける社会に価値などありません。人に愛され、慕われたいという気持ちがあらゆる人を平等にすることにエリザベスは気づきます。
 人種、国籍、性別を超えた地平に向かって歩き出すエリザベスは、アフリカに暮らす多くの女性に勇気を与えたといいます。
『力の問題』以後、ヘッドはセロウェに暮らす普通の人々を描くようになりました。しかし、志半ばで亡くなったのが非常に惜しまれます(享年四十八歳)。
 彼女の死後、作品集やエッセイ、書簡集などが次々に出版されたのは、多くの読者に慕われた証にほかならないでしょう。

※:日本版は、カバーがとても薄い紙で、表紙の欧文が透けてみえるデザインになっている(写真)。

『力の問題』中村輝子訳、學藝書林、一九九三