読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』ペーター・ハントケ

Die Angst des Tormanns beim Elfmeter(1970)Peter Handke

 ひたすら観客を罵倒し続ける『観客罵倒』という芝居でセンセーションを巻き起こしたペーター・ハントケは、インテリで、端正な顔立ち、長髪、スタイリッシュ(写真)。ヴィム・ヴェンダースの映画で脚本を担当していることでも知られており、カンヌ映画祭の審査委員を務めたこともあるそうです。
 正直そこまで揃うと、同性として醜い嫉妬心がムクムクと沸き上がり「どうせ話題性だけの紛いものだろう」と思いたくもなります。
 ところが、彼の作品を読めば、そんな気持ちは吹き飛んでしまうでしょう。『左ききの女』のまるで創作メモのように極限まで刈り込んだ描写や、『私たちがたがいをなにも知らなかった時』の無言であるが故の饒舌さに驚き、感心させられてきました。
 母親の自殺を扱った『幸せではないが、もういい』(1972)もよいのですが、個人的にはそれ以前の若く尖った作風の方が好きです。特に『不安』は切れ味抜群で、油断していると血塗れになりそうなところが溜まらない魅力を放っています。

 さて、この小説は、こんな風に始まります。
「機械組み立て工ヨーゼフ・ブロッホ、むかしはサッカーのゴールキーパーとして鳴らした男だが、彼が或る朝仕事に出てゆくと、きみはくびだよ、と告げられた。というより実は、折りから労働者たちが宿泊している現場小屋の戸口に彼が姿をみせたとき、ただ現場監督が軽食から目をあげたという事実を、ブロッホはそのような通告と解し、建築現場を立ち去ったのである」
 イカれてます……。
 アルベール・カミュの『異邦人』(「今日、ママンが死んだ。もしかすると昨日かもしれないが、私にはわからない」窪田啓作訳)に負けていません。
 ブロッホは途轍もなく狂った男なのか、それとも、不条理な世界へ誘われるのかと、弥が上にも期待が高まります。

 さて、仕事を辞め、社会から孤立したブロッホはウィーンの街を当てもなく彷徨い、ナンパしたもぎりの娘を彼女のアパートで絞殺してしまいます。
 殺人は衝動的で、動機は特に見当たりません(「太陽が眩しかったから」ほどの理由もない)。そこに至るまでの、あるいはその後のブロッホの行動も心の動きも、恐らく全く理解できないでしょう。
 そもそも、この『不安』は、心理描写のほとんどない客観的で乾き切った文体によって構築されており、ブロッホがどういった人間なのか類型すら見出せません。
 いや、多分、彼はごくごくありふれた人間なのです。スタジアムにサッカーの観戦にゆき、食堂で新聞を読みながら食事をし、シャワーを浴び、映画館へゆき、離婚した妻に電話をし、乗合バスに乗る……。そこに異様なものは微塵もみえない。

 平凡な意識の流れのなかで、ごく自然に女を殺す点が不気味ではありますが、フィクションにおいて、殺人を、まるで路上にゴミを捨てるかの如き感覚で行う主人公など、ざらにみかけます。
 そんなことより特徴的なのは、作者までもが「殺しなんて大した意味はない」といったふりをしている点でしょう。殺害の記述はわずか数行にすぎず、時折、殺人を報じた新聞記事に触れたりしますが、終盤まで人を殺したことなどほぼ無視され、一見詰まらない日常のできごとが淡々と語られるのです(非日常的なできごとは、川で行方不明の子どもの死体を発見することと、酒場で喧嘩をすることくらい)。

 ハントケには、サイコキラーの異常な心理を分かりやすく提示するつもりなどなく、ましてや、尤もらしい不条理な物語でお茶を濁す気などさらさらないのでしょう。
 とどのつまり、これは読者への過酷な挑戦ではないかと、僕は思います。
御者のからだの影』にも負けないくらい微細な描写のなかから、「殺人露見に怯えるブロッホの心理を読み解け!」という課題を出されているようで、自ずと緊張感が漲ってきます。
 実際、感覚を研ぎ澄ませることによって、酒場の女主人とふたりきりになる場面や、ホテルのメイドを部屋に誘う場面などにおいて、新たな狂気の発現という存在しないものまでみえるようになるのです。

 このように、読者の本気度が厳しく試される作品であることは間違いありませんが、本来、文学とはかくあるべきという気がします。
 前回の『石蹴り遊び』にしても、『ユリシーズ』にしてもそうですけど、漫然と筋を追うだけなら、活字を読む意味などほとんどないのですから……。

 最後に、タイトルについて一言。
 邦題は、倒置法を用いていますが(あるいはドイツ語の構造のまま)、意味はほぼ原題どおりです。
 PKは決められて当然ですから、キーパーは割合気楽で、寧ろキッカーの方がプレッシャーを感じると一般的にはいわれています。扉に書かれた「ゴールキーパーはボールがラインを越えてころがるのを見ていた……」という一文もPKにおいては、滅多にない状況という気がします(コロコロPKとかなら別か)。
 物語の最後に、ゲームにおいてキーパーはほとんど人の目に映らない存在であること、PKの際のコースの読み合いといったことも書かれますけど、さほど効果があるようには思えませんでした。
 ハントケは、サッカー好きってわけではないのかな?

追記:二〇二〇年一月、三修社から復刊されました。

『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』羽白幸雄訳、三修社、一九七一

サッカー小説
→『ピッチサイドの男』トーマス・ブルスィヒ

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