読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『午後四時の男』アメリー・ノートン

Les Catilinaires(1995)Amélie Nothomb

 アメリー・ノートン(※)は一九六六年、神戸に生まれました。その後、帰国しましたが、再来日して日本の企業に勤めたことがあるそうです。そのときの経験が、ベストセラーになった『畏れ慄いて』(日本の企業の内情を外国人の視点で描いた)に生かされています。
 しかし、話題になる小説は、文学性を無視されるという宿命を持っています。当時、この作品も暴露本のような扱いを受け、「こんなの、デタラメだ」といって怒る人が多かった記憶があります。それ以来、ノートンの日本での印象は芳しくない気がして、とても残念に思っています。

『午後四時の男』の原題は「カティリナ弾劾演説(紀元前ローマの哲学者キケロによる名演説)」という意味です。それだけだと「何のこっちゃ」って感じですが、その際のキケロのセリフ「Quo usque tandem abutere, Catilina, patientia nostra?(カティリナよ、一体いつまで我々の忍耐につけ込むつもりだ)」が、主人公の気持ちを代弁していると書けば、少しはイメージが湧いてくるでしょうか(しかも、物語の序盤と終盤では、この科白の持つ意味が変わってくる)。

 子どももなく、孤独を愛するエミール・アゼルと妻のジュリエットは、定年を迎え、田舎へ引っ越すことにしました。第二の人生を、人と極力かかわらず気ままに生きるためです。周囲の環境は理想的でしたが、唯一の問題は隣人の老医師ベルナルダンでした。
 ベルナルダン氏は、毎日、午後四時になるとエミールの家を訪れ、きっかり六時まで居座ります。しかも、ほとんど口をきかず、不機嫌そう(あるいは愚鈍そう)にぼんやりしているだけなのです。
 他人に干渉されない静かな生活を望んでいたエミールたちは大いに戸惑い、様々な対策を試みますが、どれも上手くいきません。やがて……。

 いわゆる「迷惑な隣人」を扱ったフィクションに分類されるでしょう。ホラーやサスペンスとしても料理できますが、ノートンは、変人の奇怪な行動を強調するのでも、エンタメ的手法でエスカレートさせてゆくのでもなく、気の弱い主人公の小さな心の動きに重点を置いて描きました(ブラックユーモアの味つけはあるが)。
 ベルナルダン氏は、確かにグロテスクな奇人ですが、生命が脅かされるほど危険な存在ではありません。彼の妻も醜悪ではあるけれど、実害は一切ないのです。
 寧ろ、彼らをからかい、笑い者にするのはエミールの方です。ペダンチックな会話で煙に巻こうとしたり、容姿や反応の鈍さを嘲笑ったり……。そして、ついにエミールは怒りを爆発させ、それが暴力行為にまで発展します。
 衝撃的な結末を待たなくとも、この辺りで読者は、本当におかしいのがベルナルダン氏なのか、それともエミールなのか、分からなくなるでしょう。

 そして、それに気づいたとき、この小説の本当に怖い面がみえてきます。
 ベルナルダン氏はサイコパスではないし、大きな事件も起こしません。けれど、エミールの心からは、確実に何かが失われてゆくのです。それは、老境に至るまで信じて積み重ねてきたもの、生きるための拠りどころとなる大切なものです。
 それによって、信頼されていた教え子に去られ、夫婦の間にも亀裂が走ります。ベルナルダン氏のことを、喜びや欲望を持たない空虚な人間だといって批難しますが、その言葉は、そのまま自分自身に跳ね返ってきます。
 人生の終わりがみえ、隠遁生活に入った老人にとって、それまでの生き方を全否定されるくらい恐ろしいことはありません。起伏が少なく、自分たちの小さな世界を守ってきたタイプならなおさらです。
 スティーヴン・キングの『ミザリー』のように分かりやすくはありませんが、ささやかな幸せの裏に潜む恐怖を巧みに表現した作品といえるでしょう。

 なお、エミールは元教師だけあって、対話を非常に重視します(熱弁をふるって、相手を屈服させようとする傾向もある)。
 ベルナルダン氏の「ええ」や「いや」といった短い返事から、何を読み取り、次にどういった質問をすればよいか。そして、それは正解だったのか、それとも誤っていたのかをひたすら思案します。
 それは世間話から哲学的な議論にまで至り、次第に禅問答や論理パズルのようなやり取りと化してゆき、わけがわからないながらも非常にスリリングです。
 勿論、それらは、ラストの常軌を逸した行動の伏線にもなっていて、上手いなあと感心させられます。

 ところで、日本語版は、若い閨秀作家の作品ということで、お洒落な装幀にし女性の読者を狙った感じがありますが、内容からすると、やや外したかなという気がします。この辺も、日本でノートン人気が定着しなかった一因かも知れませんね。

※:Nothombはカタカナではノートンと書くのが定着しているが、ノトンブとかノトンとするのがフランス語の発音に近いらしい。なお、日本語にすると名前がよく似ている英国人のメアリー・ノートン(『床下の小人たち』)のスペルはMary Nortonである。

『午後四時の男』柴田都志子訳、文藝春秋、一九九八

→『殺人者の健康法』アメリー・ノートン