読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『天使の恥部』マヌエル・プイグ

Pubis Angelical(1979)Manuel Puig

 本当にどーでもいい話なんですが、これまで読書感想文で取り上げた本を五十音順に並べたところ、「タ行」と「ナ行」の本が一冊もありませんでした。たまたまでしょうか。それとも、タ行・ナ行で始まる書名は少ないのでしょうか。
 今まで日本で発行されたすべての書籍のタイトルを調べるなんて無理ですが、何もしないんじゃ格好がつかないので、「英米文学事典」(東京堂出版、一九七八)で、項目としてあがっている作品名を数えてみました。ちなみに、この事典を選んだのは、たまたま目についただけで、特に意味はありません(ほとんどの項目が作家名で、作品名は少ないので調べやすかったけど)。

 ア行 35作  カ行 19作  サ行 25作  タ行 25作
 ナ行  8作  ハ行 28作  マ行 11作  ヤ行  5作
 ラ行  8作  ワ行  5作


 ナ行はともかく、タ行は特別少ないとは思えません。例えば、J・M・クッツェーなんて『ダスクランド』『敵あるいはフォー』『恥辱』『鉄の時代』『動物のいのち』と五冊もあります。
 ま、何となく気持ち悪いので、今回はタ行の、次回はナ行の本を取り上げることにします。

 まずは、マヌエル・プイグの『天使の恥部』(写真)です。
 プイグといえば、独白、会話、手紙、新聞記事などを駆使し、主客両面から作品を構築してゆくことで知られています。というか、映画人である彼にとって、小説とはそういうものだったらしく、地の文と会話からなる、いわゆる普通の小説は一編もありません。ちなみに『南国に日は落ちて』を除いたすべての長編小説が八章×二部の構成という徹底ぶり(『このページを読む者に永遠の呪いあれ』は二部構成だが、章番号はなし)。
 それでも多くの読者を獲得しているのは、手法が極端に前衛的ではないせいではないでしょうか(『紙葉の家』のマーク・Z・ダニエレブスキーなんかは、やや似たものを感じる)。また、物語自体は大衆的なので、ロマンス小説のファンなどにも受け入れられそうです。

 さて、『天使の恥部』は、生きている時代も場所も異なる三人の女性のお話です。一九七五年、癌でメキシコの病院に入院中のアナ。第二次世界大戦前、ウイーンから米国へ渡る女優。そして、未来のある都市で、W218と整理番号で呼ばれる女性。
 女優とW218は同じ世界を共有していて、アナとは夢のなかでつながっているようですが、『赤い唇』とは違い、それぞれの現実に影響を及ぼすことはほとんどありません。ただし、三人とも男に利用され破滅するという共通点があります。

 プイグの小説がメロドラマの形式を選択するのは、扇情を意図しているわけではなく、男と女の事件(love affair)において、男に弄ばれる女性の悲劇を描くことを目的としているからでしょう。また、女性の目で政治や社会を見通すことで、マチスモ(男性優位主義)の醜さを暴き立てようとしています。そういう意味で、アナ、女優、W218は、『ブエノスアイレス事件』のグラディスや、『蜘蛛女のキス』のモリーナと響き合うものがあります。

 さらに、この作品では、母と娘の絆がテーマになっています。母から娘へ延々と引き継がれる屈辱が、やがて、男に屈服しない性器のない天使を作り出してゆくわけですが、それが氷に閉ざされた不毛の地で、狂った老婆によって語られる場面は、震えるほど神々しい。

 一方で、三人の女性は、プイグ自身を表しているようにも読めます。
 即ち、過去を担当する女優は、若き日に抱いた映画への夢を、現代のアナは、ペロニズムに対する批判を(この作品は、亡命後に書かれた)、未来のW218は、新たな可能性を、それぞれ象徴していると考えられるからです。

 そんなわけで、プイグ文学の集大成とも、転換点ともいえる重要な作品であると思います。入門編としてもお勧めの一冊です。

追記:二〇一七年一月、白水Uブックスから復刊されました。

『天使の恥部』安藤哲行訳、国書刊行会、一九八九

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