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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『文無し男と絶叫女と罵り男の物語』エイモス・チュツオーラ

ナイジェリア

Pauper, Brawler and Slanderer(1987)Amos Tutuola

 ナイジェリアの作家エイモス・チュツオーラの小説は、これまで長編五冊、短編集一冊が翻訳されています。全て持っていますが、よくいえば個性的、悪くいうと、どれもほとんど同じ……なので、何を選ぶか迷いました。
 個人的には『ブッシュ・オブ・ゴースツ(ジャングル放浪記−アフリカの幽鬼と幻想)』がベストなのですが、今回は『文無し男と絶叫女と罵り男の物語』を取り上げてみます。

 理由のひとつは、この本と『妖怪の森の狩人』の二冊は、今は亡きトレヴィル(現エディシオン・トレヴィル)発行だから。若い頃は、トレヴィルとかペヨトル工房とかエディシオン・アルシーヴの本を持ってるのがお洒落だと思っていたんですよね。懐かしいやら、恥ずかしいやら。
 とはいえ、二冊ともスズキコージのイラストで、装丁も凝っています。チュツオーラの原初的かつ不気味で明るい雰囲気には、とても合っていると思います。

『文無し男と絶叫女と罵り男の物語』は、主人公が旅に出る点、運命という逆らえない力に人生を翻弄される点が、チュツオーラのほかの作品と共通しています。けれど、数々の苦難を乗り越え、幸福を手に入れるといった単純な物語ではありません。
 働けば働くほど貧乏になる王子と、その妻で一日中絶叫し続ける美女、邪な心を持った男の三人が、街を追放され、放浪を始めます。訪れるところで常にトラブルを起こし、各地を転々とする。しかも、呪いによって死ぬこともできないのです。彼らの救いのない末路は、予言によって予め示されていて、物語はそのとおり進んでゆきます。
 にもかかわらず、暗さや重苦しさは、ほとんどありません。どうしようもなく過酷な運命を背負わされているのに、三人とも、やたらと陽気で、エネルギッシュなところが、とにかく格好いいんですね。

 チュツオーラの小説は、多くが幻想的な冒険譚です。ゴースト、神、死者、野生の人間(?)などがごく当たり前のように登場し、主人公を振り回します(『文無し男』の場合は、主人公たち自身が奇妙奇天烈ですが……)。
『やし酒飲み』発表当時、その奇想天外な想像力と、特異な英語が、ヨーロッパの読者に衝撃を与えたそうです(レーモン・クノーが仏語訳を出したのは有名な話)。確かに、自由で豪快で飾らない作風は、とても楽しいし、癖になります。

 けれど、それだけなら世界各地にある民話と、そう違いはありません。チュツオーラ(なのか、ヨルバ族の民話なのか)の魅力は、「ごく当たり前」という点にあるように思います。
 主人公は、どんなに悲劇的な目に遭っても、決して嘆いたり、誰かを恨んだりはせず、自分の境遇を丸ごと受け入れる。道を歩いていただけで奴隷にされるといったとんでもなく理不尽な状況にも、すぐに馴染んでしまいます。一応、知恵や力や魔力を使って逃れようとはしますが、上手くいかないとなると、運命を受容し、それなりに楽しく過ごすわけです(ときには、何十年も!)。
 これは、ある意味、理想的な生き方です。不平不満を抱えず、死を恐れなければ、どんなところでも楽園になりますから。
 実際、彼の小説を読むと、自分のちっぽけな悩みなんか、どうでもよくなってしまいます。

 なお、『文無し男』は、初期の作品よりも、設定が複雑になり、物語に厚みが出ています(その分、型破りな魅力は減っていますが)。
 おまけに、絶妙なのか、ピントが外れてるのか分からない諺が随所にちりばめられていて、これだけ集めて本にしたいくらいヘンテコ(「気違いは重い荷物をところかまわず片付ける」とか「出っ歯に困るのは口」とか)なので、サンチョ・パンサ好きにはお勧めです。
『やし酒飲み』を読んでショックを受けたら、ぜひ、この本を手に取ってみてください。

『文無し男と絶叫女と罵り男の物語』椎名正博、樋口裕一訳、トレヴィル、一九九四