読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『旧聞日本橋』長谷川時雨


 気がつくと、これまで女性の作家をひとりも選んでいませんでした。
 別に深い意味はないつもりだったんですが、よくよく考えてみると、僕の蔵書に占める女流作家の割合は圧倒的に低い。これは読書の傾向にもよるのかも知れません(こちらを参照)。
 とはいえ、好きな閨秀作家も勿論沢山いますから、これから少しずつ取り上げてゆきたいと思います。

 作家・劇作家としての長谷川時雨は、今や完全に忘れられた存在でしょう。彼女は、七歳年上の樋口一葉を畏敬し、『近代美人伝』で取り上げたり、『一葉小説全集:評釈』を遺したりしていますが、作家としては最後まで遠く及ばなかったように思います。尤も、生前から、時雨といえば、雑誌「女人芸術」の主催者として認知されていたようですが……。
 さて、その「女人芸術」に昭和四年から七年にかけて連載された幼少期の回想録が『旧聞日本橋』(1935)です。元々は埋め草的な原稿だったそうですが、今では「女人芸術」最大の成果とされているのですから、分からないものですね。

 誰にでも書物のなかに憧れの時代・場所があると思いますが、僕にとって時雨の描く明治中頃の日本橋は、そのひとつです(架空の場所ならトムやハックのいたセントピーターズバーグかな)。
 文明開化の象徴ともいえる銀座に比べ、時雨の生まれ育った界隈は、商家の街で、江戸の香りを色濃く残しています。そこに暮らす人々も、どことなくのんびりしていて、疲れたときに読むと、とても心が休まります。
 ちなみに、谷崎潤一郎は時雨の七歳下で、同じ日本橋に生まれていますが、あちらは「やわらか筋」で、大問屋町とは趣が大分違ったそうです。

 随筆のよさは、ときどき手に取って、適当な箇所を読み返すことができる点です。長編小説では、こうはいきません。
 時雨は、決して名文家ではありませんが、その観察力と記憶力は驚異的で、周りの人物の特徴を細かく、冷静に描写してゆきます。こんな子どもが近くにいたら、だらしない大人たちは、さぞやりづらかったでしょうね。
 とはいえ、彼女の筆に毒はありません。大好きだった父方の祖母や父親のことは勿論、代用小学校の校長、硫黄熱に取り憑かれた母方の祖父(木魚のおじいさん)と祖母、長茄子のおばさん、チンコッきりのおじさんなどに向けた眼差しにも愛情がたっぷりと含まれています。
 長女ということもあって、時雨は、厳しい祖母や母から日常的に折檻を受けていたり、読書を禁じられたりと、決して甘やかされて育ったわけではなさそうですが、それでも懐かしく愛しい少女時代であったことがよく分かり、読んでいるこっちまで幸せな気分に浸ることができます。

 もうひとつ、江戸言葉、東京方言も魅力のひとつでしょう。なかには辞書を引かないと意味が分からないものもありますけど(げじけしとか、チンチンモガモガとか、チンガラホとか。あるいは唐茄子が、かぼちゃではなく、トマトのことだったり)、当時の下町に思いを馳せるには、豊かな話し言葉はなくてはならないと思います。

 というわけで、長谷川時雨に興味のない方にとっても、十分楽しめる名随筆です。ネットでも読めるようですが、歌川輝国や国芳の弟子だったという父深造のスケッチも素晴らしい(写真)ので、ぜひ書籍を手に取ってみてください。

『旧聞日本橋岩波文庫、一九八三

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